① 逸見(狩野)一信筆五百羅漢図における梵土表象の調査研究研 究 者:九州大学大学院 人文科学府 博士後期課程 単位取得満期退学江戸時代、徳川将軍家の菩提寺であった増上寺(東京)に伝来する五百羅漢図(以下、増上寺本とする)は、幕末の絵師・逸見(狩野)一信(1816~63)がその工房とともに嘉永7年(1854)から約10年をかけて描いた100幅からなる大作である。本作の制作過程では「梵土の古儀」つまり古代インドにおいて釈迦が教則として定めた戒律を描くという指導が、増上寺学僧・大雲(1817~76)によって行われた。そのため、本作は東アジアにおける五百羅漢図の伝統から大きく逸脱することを特徴とする。戒律に裏打ちされた正統な仏画でありながら、本作の魅力は、制作当時、日本に流入していた西洋画法で構成された新奇な視覚世界、極彩色によって描かれた抜群の独創性である。本研究では学僧の全体構想に基づきながら、一信が如何にして「梵土」を描いたかを考察した。増上寺本に描かれた梵土は、六道や四洲が存在し、羅漢と動物が対話し、海底の龍宮や天といったあらゆる場所や時間へ往来するという羅漢の神通力が発揮できる、実視不可能の観念的な世界である。このことは換言すれば、羅漢の自由な性質に託して仏教説話や経典といったテキスト、古画や新図といった視覚文化、信仰の対象等、様々な仏教文化から取材可能であったということが想定される。近代以前まで中国的文化の強い影響下にあった日本において、未だ見ぬ梵土(インド)を具体化することは困難を極めたに違いないが、先学が指摘するように増上寺本第21~24幅〈六道 地獄〉における仮名書き絵入り往生要集の引用等から、当時の信仰や仏教に関する視覚文化を巧みに取り入れ、梵土の構成を図っていたことが明らかである(注1)。1、近世日本における梵土表現の模索考察ではまず、増上寺本の描写の典拠について、A.特に大衆の信仰を集めていたと思われる視覚文化(仏画を含む)、B.仏画以外に典拠となった視覚資料、C.大衆の周辺にあった信仰とは異なる現象、D.テキスト、に区分し、一信が典拠とした視― 1 ―― 1 ― 白 木 菜保子Ⅰ.「美術に関する調査研究の助成」研究報告1.2016年度助成
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