⑩ヴィクトール・オルタとアール・ヌーヴォーの誕生─初期の室内装飾から見るオルタのコンセプトの発展─研 究 者:ブリュッセル自由大学 建築学部(ラ・カンブル オルタ) 博士課程小 田 藍 生1.はじめに1893年、ベルギーの建築家ヴィクトール・オルタ(1861-1947)は世界初のアール・ヌーヴォー建築《タッセル邸》を建て、この運動の先駆者として知られるようになった。オルタは邸宅を設計する際、家具も制作した。彼は、「タッセル邸は、忘れ去られた[室内装飾の伝統への]回帰であった」(注1)と述べて、既製品に頼らず、住宅に合わせて一から家具を設計することの重要性を強調している。建築家が住宅に合わせて家具を設計するのは珍しいことではなかったが、19世紀、産業や商業が発展するなか、人々は既製品で満足する傾向にあり、こうした伝統は過去のものと見なされるようになっていた。しかし、オルタは手間を惜しまず家具を設計し、建築と室内装飾が細部まで完全に調和した空間をつくりあげた。ところが、彼の家具はほとんど研究対象とされてこなかった。サンカントネール美術館学芸員ウェルナー・アドリアンセンスが2011年に出版した論文は、研究史の不備を踏まえ、文字資料をもとに家具について論じた唯一の本格的な研究である。しかし、考察の対象はアール・ヌーヴォー後期の作品《オーベック邸》(1900-1904)に限定されている(注2)。本稿ではまず、オルタの家具について論じる上で重要な資料の問題に言及する。次に、時代背景、とりわけウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ=ル=デュクの著作『フランス室内装飾の辞典─カロリング朝からルネサンスまで─』を手掛かりに、オルタがなぜ自分で家具を設計するに至ったのかを探る。さらに、オルタが考える調和した空間のコンセプトを明確にし、それが時間を経てどのように発展したのかを分析する。そして、彼が新しい独自の様式を生み出した過程を、椅子の詳細な分析を通して明らかにする〔図1〕。椅子を分析対象とする理由は、椅子は簡素で、建築や大きな家具と比べて設計上の制約が少なく、様式やコンセプトをはっきりと示しているからである。また、彼は多くの椅子のモデルを制作しており、筆者の調査によればその数は70以上にも上る。椅子は簡単に持ち運びできるため、時代とともに建物が取り壊しや改築の犠牲となるなか、現在でも65以上のモデルが残っており、詳しい分析が可能である。― 100 ―― 100 ―
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