鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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めた。しかしながら、これは壁面装飾のような建物の基礎の装飾に取り掛かったということで、家具のような細部まで設計する時間はまだなかったのではないかと考えられる。なぜなら、1895年に出版された雑誌『レミュラッシオン』に掲載されたサロンの写真には、周囲の装飾とはそぐわない既製品の燭台が壁に設置されているからだ(注13)。〔図3〕から、1896年以降、オルタは自分でデザインしたランプに変更したことがわかる。さらにこの写真から元々この椅子は、1895年に制作されたリンゼイ・P・バターフィールドの生地で覆われていたことがわかっている(注14)。『覚え書』にオルタは、「1898年5月18日、タッセル邸の食堂とサロンの椅子」と記している。この日付が椅子のクロッキーを作成した日を示すのか、あるいは椅子を制作した日のどちらを表すのかは不明だが、いずれにせよ、この椅子は1898年に設計、制作されたと考えられる。鹿島美術財団の助成期間中に、筆者は12の椅子のモデルの制作年代を特定した。この結果から、オルタが最初に椅子を設計したのは1896年であったことがわかった。この年に制作されたのが、《フリソン邸》(1894-1895)や《ヴァン・エートヴェルド邸》(1895-1899)の食堂の椅子である。邸宅を建設する順番は、家具を制作する順番とは異なっていた。初のアール・ヌーヴォー建築である《タッセル邸》の椅子は実は最初ではなく、のちになって制作されたものである。〔図5〕の上部には、先行研究で行われてきたように住宅の建設年をもとにした椅子の年表を表す。〔図5〕の下部には、本研究で特定した椅子の制作年をもとにした年表を表す。《フリソン邸》や《ヴァン・エートヴェルド邸》の食堂の椅子の背には、曲線が使われているが、曲線は全体の構成のなかにまだ上手く統合されていない。しかし、時とともに背の形が大胆にデフォルメされるようになり、何本もの曲線が見事に一つにまとめられていく。この時期に制作されたと判明した《タッセル邸》の椅子は、その代表的な形をしている。そして、1902年以降の《トリノ展》や《オーベック邸》の椅子になると、曲線と構成の一体感はそのままに、全体としてはよりシンプルな印象の背となっていく。6.椅子の様式ここでは、ヴィオレ=ル=デュクの教えに従って、オルタがどのように新しい独自の様式を生み出し、発展させたのかを分析していく。1896年頃は、様式上、分岐点となっている。オルタが初期に制作した椅子を分析すると、一方では、彼はまだ独自の― 105 ―― 105 ―

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