鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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様式を形成しておらず、それ以前の時代の様式を参考にしていることがわかる。例えば、1896年から1897年の間に制作された《ウィンシンガー邸》の食堂の椅子の脚は、植物の茎の形をしており、度々、アカンサスの葉の形で表されるルイXIV世様式の家具の脚から着想を得ているように見える〔図6〕。しかし、他方で、1896年に《フリソン邸》や《ヴァン・エートヴェルド邸》の食堂のために制作した椅子に注目すると、背の角が丸められている。この角を丸めるというデザインは、オルタがサンカントネール公園に建設した展示館(1890)にその起源を遡る〔図7〕。展示館は新古典様式で建てられているものの、この時すでに、オルタは後のアール・ヌーヴォーへとつながる曲線の美を発見しており、本来であれば直線で構成される部分を曲線に置き換えている。特に、破風(勾配屋根の三角形の部分)の角を丸めているところに、新しい様式を模索する様子が見て取れる。初期の椅子においても、背の角を丸めることで、新しい様式を生み出そうとしていたのだろう〔図8〕。例えば《フリソン邸》の椅子では、オルタは丸めた角の周りをさらに別の曲線で繰り返し強調しており、サンカントネール公園の展示館よりも大胆な造形表現が見られる。のちにそれは、《オルタ邸》の椅子などに見られるギリシャ彫刻の衣のドレープのような優雅な曲線表現へと発展していく。それは、同時代に活躍した建築家ヴァン・ド・ヴェルドやギュスターヴ・セリュリエ=ボヴィのシンプルで平面的な家具とは異なり、オルタ独自の表現と言ってよい。以上から、1896年頃、オルタは伝統的な様式に影響を受けながらも、新しい独自の様式を生み出し始めていたと言えよう。7.終わりに本稿では、椅子を中心にオルタの室内装飾を分析した。19世紀後半から始まった装飾芸術品の改革運動を背景に、とりわけその頃書かれたヴィオレ=ル=デュクの著書から影響を受け、彼は調和した住まいを実現する目的で家具を自ら設計しようと決めた。1893年に設計した《タッセル邸》はその結果であった。そして、3年後、オルタのアール・ヌーヴォーのコンセプトは発展を遂げ、建築と室内装飾が強く結びついた作品を生み出すこととなる。またこの頃、様式の上でも彼の考えは明確になり、独自の様式が芽生え始めた。オルタにとって、家具の設計は理想とする建築を実現するために不可欠な手段であり、彼の家具ははっきりと建築家の考えを表している。本稿では、調和した住まいに関する彼のコンセプトを明らかにした。先行研究ではあまり目を向けられてこなかっ― 106 ―― 106 ―

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