鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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⑪北魏平城時代の石刻資料に関する調査研究─書様式と造形、機能に注目して─研 究 者:早稲田大学 會津八一記念博物館 助手  徳 泉 さ ちはじめに北魏平城時代とは道武帝の天興元年(398)より太和18年(494)までの100年ほどの期間であり、孝文帝による洛陽遷都以前、平城(現在の山西省大同市)に都が置かれていた時代を指す。北魏の書といえば龍門造像記があまりに有名なためか、平城時代の書は等閑視され、保守的、古拙、素朴といった語で評されてきた。近年では平城時代の宮殿趾や、大同周辺の多数の北魏墓の発掘調査の進展に伴い、新出土の石刻資料の報告が相次いでいる。これらは、従来の平城書法のイメージ、並びに文化全般に見直しを迫る重要な作例となろう。本調査では文字が刻まれた石刻資料を対象とした。石刻文字は書法史学や金石学研究の一次資料として扱われてきた。さらに、近年ではその内容が編纂史料の欠を埋める歴史・文学史料としても注目されている。そのためか、文字部分の拓本のみが公開され、全体像の写真は掲載されないことが多い。石刻資料には、石碑、墓誌、造像記など多様な種類が含まれ、それら全体の形状や、施された装飾意匠などは石彫芸術史研究にも貴重な情報を提供してくれる。本調査では、書法史だけでなく、美術史的な観点からも調査を行い、平城期の石刻資料の総合的な理解を目指した。平城時代の書や美術を検討する際に重要なポイントとなるのは、南北、或いは胡漢の問題であろう。平城時代は鮮卑族により建国された北魏国家が、自らの鮮卑文化を一面では保持しつつ漢文化を摂取して中国的変容、漢化を遂げていく過程の時期といえる。漢文化をまさしく象徴する書に対して、そもそも体系だった固有の文字文化をもたない鮮卑族がどのように対峙したのか。当時期に行われた書法の動向は、洛陽遷都以前における漢文化受容の深度を測る一つの指標となるであろう。従来あまり顧みられてこなかった北魏平城時代の石刻資料について、中国書法史、石彫史上の位置付けを模索することが筆者の大きな目的である。今回はそのための基礎作業として当時期の作例の概数を洗い出すことから着手し、その中より重要と思われる資料をピックアップして実見調査を行った。本稿では調査済み作例の中から、平城時代を代表する作例である太武帝東巡碑(437)と文宣帝南巡碑(461)を重点的に取り上げて検討し、調査報告としたい。― 111 ―― 111 ―

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