鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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C.大衆の周辺にあった信仰とは異なる現象について、増上寺本第26幅〈六道 餓鬼〉に子を食らう母餓鬼の姿が描かれており、このような描写は、飢饉の際に発生した「親が子を食らう」という非現実な話を具体化したものと思われる。天明の飢饉に際しては、高山彦九郎『北行日記』、菅江真澄『楚堵賀浜風』、『天明卯辰簗』等が、親が子を食らう記録を行った書物として既に報告されている(注5)。幕末においては1830年代に天保の飢饉が起こっており、同様の現象が流布されていた可能性がある。第81、82幅〈七難 震〉に参考として『安政見聞誌』等[沖松]における地震の際の火事の様子、第90幅〈七難 盗〉に『世事見聞録』等[鈴木]における押込み強盗の様子の記述があり、いずれも当時の世相を反映した資料として増上寺本に取り入れられた可能性があると指摘されている。写されるような極端なものではなく、むしろ孫君澤の山水画における樹木の張り出し方や辺角構図が取り入れられているように思われる。第38幅〈六道 天〉では俳諧選集『青かけ』に亜欧堂田善が収めた「陸奥国石川郡大隈滝芭蕉翁碑」という銅版画を典拠として、遠景から前景へ流れる雲の動きを、銅版画の水の流れを参考にして立体感を出そうとしていたと思われる。詳細は後に述べる。また、第38、39幅では『北斎漫画』13編における「須弥」山が2幅にわたって典拠とされている。日月を取り入れたところも看過できない。第55幅〈神通〉では明清の洗象図[梅沢]を参照している。第62幅〈禽獣〉に描かれた甲羅に星のような点がついている亀は、中国古代の夏王朝を起源とする洛書という瑞獣で、『釈迦御一代記図会』2巻に「摩耶夫人の容態を討論する」図に見られるのと同様であろう。洛書は宋代には図像と解されるようになり、陰陽を表す黒点と白点の数によって示された。増上寺本に描かれた甲羅の点は、陰陽を示すものと解される。増上寺本第63、64幅〈禽獣〉の構図は、逸見家旧所蔵資料(増上寺蔵)の冊子「和漢・和蘭陀美術写集」に貼り込まれている鳳凰を眺める異人の図に酷似している。詳しくは後に述べる。第91、92幅〈四洲 南〉では古代インドで仏教を擁護した阿育王の戴冠式が描かれている。帝鑑図に描かれるような構図[鈴木]でもあり、また、平面的に描かれた金雲は屏風に描かれているようである。当時の増上寺には、台徳院や崇源院を祀った霊廟があり、「江戸図屏風」(国立歴史民俗博物館蔵)に描かれ五色に彩られた霊廟や金雲が増上寺本に反映され、まるで仏教によって阿育王が収めた世界を徳川の世に当てはめようとしているかのようである。D.テキストについては、第28幅〈六道 鬼趣〉に正法念処経、仏説鬼子母経、第― 3 ―― 3 ―

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