鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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である騎兵のイデオロギーを反映している。さらにローマの影響が増大するにつれて、これらのエリート層はローマ化し、姿を消していったにもかかわらず、政治的にも経済的にもローマによる強制や押しつけはなかったことを示しているという(注13)。片面に人の顔、もう片面に騎馬や動物が描かれている貨幣は、ガリアなどイベリア半島以外のケルトの貨幣にもしばしば見られる。それらのケルトの貨幣の図像は、ケルトの神話や宗教を反映していると考えられており(注14)、ケルトイベリアの貨幣も図像表現の主題の選択に関しては、他のケルトの貨幣と共通点を持っていると思われる。主題の解釈の当否はさておき、まずはケルトイベリアの貨幣に何が描かれているのか、具体的に見ていくことから始めたい。2、アレコラタの貨幣今回、主な調査対象としたのはアレコラタの銘のある貨幣であるが、アレコラタというのは恐らく地名であると思われる。しかし、ギリシア・ローマの古典文献には記述がないため、正確な場所は同定されていない。オテロ女史は、貨幣を含む考古学資料の分析から、ローマ時代のアウグストブリガ(現ソリア県のムロ)ではないかと推定している(注15)。上述のように、アレコラタの貨幣はケルトイベリアの貨幣の中でも最も重要なものの1つと考えられているが、貯蓄用の埋蔵貨はほとんど発見されておらず、日常使用される通貨として広く普及していたのではないかとの説もある(注16)。アレコラタの銘のある貨幣は紀元前2世紀頃から現れ始め、製造された時期により6期に分けられている。1期は紀元前153年まで、2期は紀元前153-140年、3期は紀元前140-130年、4期は紀元前130-125年、5期は出土例がわずか2例しかなく、おそらく紀元前125年頃に製造された貨幣で、6期は紀元前125-100年までである(注17)。2期までは、雄鶏や馬などの動物を描いた貨幣も出土しているが、紀元前2世紀半ば、おおよそ2期、3期頃からは、槍を持った騎兵の図像が多くなる。騎兵の図像の出現はケルトイベリア戦争との関連も推測されている。アレコラタの貨幣の大多数は片面に男の顔、もう片面に騎馬像を描いたものである(注18)。これらの貨幣に描かれている男の顔は全て右向きで、ひげを生やしているものとそうでないものとがある〔図2〕。また、髪の表現が様式化され、巻き毛を円で表現しているもの〔図1、2〕と、髪の毛が線で描かれているもの〔図3〕とがある。男の顔の他に、顔の横にイルカが描かれている場合があり、顔の片側だけ、あるいは― 124 ―― 124 ―

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