鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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両側に描かれているものとがある。アレコラタでは、男の顔の右側にイルカが描かれているものが1枚、両側にイルカが描かれているものが10枚ある〔図2〕。騎馬像であるが、全て右向きで、槍を携えており、槍は銘文と平行に描かれているのが基本である。アレコラタの貨幣には、槍以外にも剣を持っているものが26枚あり〔図2〕、穂を持っているものが10枚ある〔図4〕。馬は前足を跳ね上げ、後ろ足を左斜め下に真っすぐ伸ばした姿で描かれているが、アレコラタの貨幣には後ろ足がくの字型に曲がった姿で描かれているものが41枚ある〔図2〕。馬の表現であるが、ビリャロンガは後ろ足がくの字型になっているアレコラタの貨幣の年代を紀元前2世紀前半から半ばに分類しており(注19)、これに従えば、アレコラタの貨幣の中では比較的古いものということになる(注20)。3、アレコラタ以外のケルトイベリアの貨幣アレコラタはケルトイベリアの貨幣の中で最も重要なものではあるものの、アレコラタがケルトイベリアの貨幣全てを代表しているというわけではない。そこでケルトイベリアの貨幣に見られる特徴を明らかにするため、比較対象として、アレコラタとはやや離れた、代表的なケルトイベリアの町であるセコビリケスとコントレビア・ベル、ルティアコスの貨幣と、併せてメトゥアイヌムの貨幣の4種を調査した。セコビリケスはローマ時代のセゴブリガ(現クエンカ県サリエーセス近郊)であり、セコビリケスの貨幣の年代は紀元前2世紀後半から紀元前1世紀初め頃と推定されている(注21)。コントレビア・ベルはコントレビア・ベライスカ(現ボトリータ近郊)、ここの貨幣の年代は紀元前2世紀から紀元前1世紀初めと考えられている(注22)。ルティアコスはケルトイベリアの町ルティア(現ルサガ)で、ルティアコスの貨幣の年代は紀元前1世紀初め頃と推定されている(注23)。メトゥアイヌムは2世紀のギリシアの著作家プトレマイオスの記述にあるメディオロン(Mediolon) (注24)との関連が推測されるが、場所は同定されていない。メトゥアイヌムの貨幣の年代はおおよそ紀元前1世紀初め頃と考えられている(注25)。これらアレコラタ以外の4種の貨幣も描かれている図像に関しては、アレコラタのもの同様、片面に男の顔、もう片面に騎馬像が、どちらもアレコラタと同じように全て右向きで描かれている。ただし、細部に関しては違いが見られる。まず、男の顔に関しては、セコビリケスでは、アレコラタの場合と同じように、男の顔の横にイルカが描かれているものが7枚、コントレビア・ベルでは男の顔の右側にイルカが描かれているものが15枚あり〔図5〕、ルティアコスの貨幣では男の顔の― 125 ―― 125 ―

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