ベリア半島内陸部で出土した、イベリア文字の銘を持つ貨幣にもある程度共通している。例えば、ラウロ(Lauro)やライエスケン(Laiesken)、ラキネ(Lakine)、マソンサ(Masonsa)などの貨幣でも男の顔と騎馬像という組み合わせは共通している(注29)。また、ローマ時代のセゴブリガで作られた貨幣にも同様の男の顔と騎馬像のパターンが見られる。このことは、イベリア半島の貨幣が、地中海、特にギリシアの貨幣の模倣から始まっていることに由来しているためと思われる。ただし、このパターンがケルトイベリアを含むイベリア半島内陸部に広く普及し、さらにローマ時代の貨幣にも継承されていることは、イベリア半島内陸部における騎馬像に対する親和性の高さを示しているといえるだろう。おわりに今後の研究の課題と展望を述べ、結びにかえたい。本稿では、ケルトイベリアの貨幣に見られる統一性、共通性を強調してきた。これは言い換えれば、ケルトイベリアの貨幣が均質で個性がないというように受け取られるかもしれないが、必ずしもそうではない。オテロ女史によれば、セコビリケスの貨幣には、男の頭の巻き毛にカモフラージュしてMの文字が刻まれているものがあるが、これは職人のサインだという(注30)。ここからは、ケルトイベリアの貨幣職人にも自らの個性を主張したいという願望とそれを実行する手段があったことが推測される。従って、ケルトイベリアの貨幣に見られる細部の相違は、職人、あるいはアーティストの個性の発現を示唆しているのかもしれない。ガリアやブリテン島のケルトの貨幣は、時代が下るにつれ、次第に図像が文様化、抽象化され、やがては幾何学文様が描かれたものが現れるようになるのが1つの特徴であるが、ケルトイベリアではそのような貨幣は見られない。ただし、アレコラタの貨幣には騎馬像の馬の目や関節が点で描かれ、全体が線描的に描かれているものがある。ケルトイベリアには他の地域よりも早くローマが進出し、紀元前1世紀初めには独自の貨幣の製造が終了したため、ガリアなどのように図像の抽象化が進むことはなかったが、これらの貨幣はその萌芽を示していると見なすことができるかもしれない。また、騎馬像は、貨幣以外のケルトイベリアの図像資料にもしばしば現れる。例えば、石彫に現れる騎馬像は、貨幣と同じように右向きであるが、しばしば盾を構えている(注31)。イベリア半島出土のフィブラには、背の部分が騎馬像の形をしたものがあるが、この場合は武器などを何も携えておらず、フィブラの形状上の制約からか― 127 ―― 127 ―
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