31、32幅〈六道 修羅〉に正法念処経等[岡本]、第85~89幅〈七難〉に法華経普門品[鈴木]、第91~100幅〈四洲〉に起世経[河合]等の反映が見られる。これらはいずれも学僧による知識の授与があり、テキストから想像を膨らませて具体化していったと考えられる。以上、増上寺本において考えうる限りの典拠を列挙した。B.の結果からは、様々な視覚資料を用いて梵土を描こうとしたことが明らかである。銅版画や版本等、比較的、入手しやすい材料を用いている。C.の結果からは、作者が現実に目の当たりにしたであろう光景、もしくは当時の世相を反映した現象が反映された可能性がある。特にA.に関しては、梵土を描くと標榜しながら、当時の江戸の庶民信仰との関連が見受けられ興味深い。実在する(した)梵土における信仰との乖離が生じているのである。大雲は梵儀を描くことを推奨し、一信はそれに応じたが、一方で大雲と同朋であった増上寺の養鸕徹定(1814-91)は、その著書『羅漢図讃集』序文(文久2年/1862)において羅漢図一般について次のように述べている。(前略)趙松雪曰く「嘗て廬楞伽の羅漢を見るに、西域の人の情態を得るが若し。蓋し唐の時の京師に、多く西域の人有り。耳目の接する所、語言相通ずるは、故なり」と。此れに由りて之を考ずるに、禅月大師等、皆本づく所有りて、而る後に之を描出せり。近世の画師の妄りに意匠を設けて、梵漢混淆するが若きに匪ざるなり。(後略)禅月大師や盛唐の画家・盧楞伽の描いた羅漢図を引き合いに出し、古代中国では西域の人物と接するところがあったため、羅漢図においても確固として基づくところがあって姿を描き出しているとする。さらに、この頃の絵師がみだりに意匠を作って梵漢を混淆してしまうようなものではないのである、と手厳しく述べている。しかし、中世~近世までの絵画における約束事という観点から見れば、日本絵画の中には異国を示す記号がいくつか存在し、中国はもとより仙境、竜宮等、さまざまな場面を描く際に用いられていた。その記号の好例としては、五色の瓦や塼(タイル)、芭蕉、棕櫚、太湖石、珊瑚等がある。これらは異国情景を表す際の定型表現として増上寺本にも取り入れられている。坂本満氏は南蛮屏風の論考の中で、外国一般を指す言葉として「唐」が使われ、南蛮的なものを表わすことに中国的な表象が使われているとし、また、南蛮屏風における雑多な外国イメージは「未分化」の異国に対する江戸時代の― 4 ―― 4 ―
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