3 他の文献調査から見えてくるものを得ない。だが、両者には一致しない点もあり、『アウギュスト』に図版が掲載されていない《接吻》が「バプテスマ」には「キッス」という名で取り上げられているほか、『アウギュスト』に使用されている《洗礼者ヨハネ》の写真が「バプテスマ」のものと違っている。このことは、高村が『アウギュスト』以外の書籍または絵葉書を見る機会を得ていたことを示している。そこで、次にこの「バプテスマ」を、その頃国内に伝わっていた可能性のある書籍類と照合し、さらなる情報の取得を試みたい。ロダンに関する文献は、明治43年(1910)11月の『白樺』「ロダン特集号」に、ドイツ、フランス、イギリスで刊行あるいは各国の言語に翻訳された書籍が22件程度紹介されている。フランス版ではただ文献名が挙げられているだけであるが、ドイツ、イギリス版にはそれぞれに比較的詳細な説明があるので、このうち何冊かは比較的早い時期に国内にもたらされ、何人かの日本人に読まれた可能性がある。筆者が可能な限りこれらに記載された文献を調べたところ、「バプテスマ」で使われた《洗礼者ヨハネ》の写真〔図1〕は、『白樺』「ロダン特集号」に挙げられてある、明治32年(1899)にフランスで刊行されたLeon MaillardのʻEtudes sur quelques artistes originauxʼ(注9)に唯一同じものが掲載されていた。このことから高村が「バプテスマ」を執筆する際に『ステュディオ』と『アウギュスト』以外で参考にしたのは本書だった可能性が現時点では一番高く、そうだとすれば本書もまた明治38年(1905)までに国内に将来されていたこととなる。また、『白樺』には参考文献として挙げられていないものの、明治38年(1905)までに確実に伝わっていた文献として、現在国会図書館に所蔵される、「帝國図書館」のプレス印と「明治三十五・九・二○・購求・」の朱印をもつʻFRENCH ARTʼなる書籍の存在も今回明らかとなった。以上を踏まえると、荻原の帰国以前に国内で手にすることのできたロダンに関する書籍は次のとおりとなる。ただし、当時国内ではロダンの作品はまだ実見できない状況にあったため(注10)、作品図版の及ぼした影響の大きさを勘案して、ここでは図版入りのものに限定して挙げた。・『泰西名画集』第1輯第4回 (明治36年(1903))… ロダン《婦人頭大理石彫像》― 136 ―― 136 ―の図版と解説を掲載
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