鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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人々のまなざしを見ることができる例証であるとしている(注6)。この場合は、ヨーロッパが中国的な表象によって表されていることを述べているが、南蛮屏風に限らず、幕末において梵土を描こうとした際にも、同様に異国の認識は未分化であったのではないだろうか。南蛮屏風が頻繁に描かれた桃山時代~江戸時代前期と一信が生きた江戸時代後期の日本を取り巻く物質的、社会的な背景はかなり異なっているが、自由に国外へ出ることが叶わなかった時代、新たに国外のイメージを生みだそうとした場合でも、日本における旧来からの約束事が突然失われるということはなかった。増上寺本では器物や袈裟を如法に基づく形で描き、絵画の仏教における正統性を高めたのであったが、養鸕徹定が断罪したように、梵土を旧来の中国的な表象抜きで描くことは実際、難しいことだったのである。これは時代的な制約であった。A.では、時代的な制約に地域性が付加され、江戸における信仰の特殊性が描かれたのであった。次に、B.仏画以外に典拠となった絵画から、増上寺本第63、64幅の構図と、逸見家旧所蔵資料の冊子「和漢・和蘭陀美術写集」に貼り込まれた図との比較について詳細に述べる。「和漢・和蘭陀美術写集」に貼り込まれている鳳凰を眺める異人の図は、江戸時代の日本人が持っていた漠然とした異国観を示しているといえる〔図1〕。鳳凰を眺める異人の図は、見世物に関する引札のような資料の一部だと思われる。異人といっても、「陽虚山有神/首二ツ号驕怪日」「天竺国龍シャ川ノ産/カッパ丈 二尺八寸」等と記述があり、鳳凰を眺めるのは人ではない者たちである。鳳凰の視線の先には卵があり、「南天竺大ホウ鳥玉子」と記される。さらに、資料の下部には「天竺国大豆」や「大人国之小豆」「幼象之鼻」「大象之奥歯一枚」といった怪しげな物が並べられている。陽虚山や大人国は、中国古代の地理書・山海経に登場する地名で、このような伝説上の土地は、本資料が刊行された当時の日本人にとっては天竺と同様、未詳の地であり、現実に存在すると捉えられていた。象の鼻や歯が、未見の国の豆と同列に並べられていることも大変興味深い。象は近世以前より舶来される動物の中でも、特に注目される存在であった。江戸時代、象はヨーロッパ諸国やアメリカの船に舶載されて日本へと渡ってきたことが知られているが、見世物という雑駁な興行の中においては舶来した船や原産地の区別がなされず、象の鼻や歯といった部分的なものであっても、異国の珍奇なものの代表として漠然と認識されていたことがわかる。改めて資料の全体と、増上寺本第63、64幅〈禽獣〉の構図を比較してみると、増上寺本では鳳凰や金翅鳥が空を舞い、中景から遠景にかけて海が広がり、山が見えると― 5 ―― 5 ―

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