鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
16/507

いう構図が引用されている〔図2〕。鳥たちを見上げる羅漢や動物は、件の異国の者たちに対照されている。第63幅の細部を確認すると、遠景に海中から現れた龍が口から蜃気楼を吐き出し、その中には薄墨で描かれた『西遊記』の物語に登場する玄奘三蔵の一行と想定される集団が中国風の大きな宮殿に向かって歩いている〔図3〕。第63幅が描かれていた頃になると、第1幅の一信による人物描写とは異なっており、弟子による手がかなり入っていると思われるが、一信たちが見世物に関連する媒体から梵土の描写を模索し、さまざまな表象を用いて梵土を描き出そうとしていたことは明らかであろう。このように典拠全体を概観すると、当時において信仰の対象となりうるもの・現象と異国をイメージするモチーフ(棕櫚、塼等)が混在して梵土表象の対象となっている。仏や鬼といった信仰の対象と、龍宮や異国は、当時の人々にとって可視化できないという点で同質のもので、これら想像のモチーフが混在していることに増上寺本における梵土表象の特徴がある。増上寺本において選択された信仰の対象が特定の宗教や出家等に限定されることなく、大衆に認識可能な現象であったことは、多くの人々に共有され、受け入れられた原因となっている。もちろん、増上寺本に描かれたすべてのものが当時の人々に共有できたとは思われない。特に第2幅〈名相〉に描かれた牛頭の羅漢は、一信が入手したとされる「乾明院五百羅漢尊号」に記される栴檀藏王尊者であるが、長らく牛頭の理由については言及されていない。この尊者を栴檀藏王とする理由は、牛頭羅漢の傍に香炉を天に捧げる老女が描かれていることから、捧げられた香がおそらく牛頭栴檀とも呼ばれた白檀であると推測できることによる。『釈氏要覧』中によれば、牛頭栴檀は天竺の牛頭山に産する栴檀から作った香料である。このような些細な記述から一信が想像したであろう箇所は、多くの人々が容易に理解できるところではなかったと思われる。2、西洋画法をもちいた梵土表現の広がり次に、増上寺本のなかで遠近法や陰影法を用いた画幅に着目し、100幅のうち部分的に用いられた西洋画法を一信の画業全体から今一度見直し、梵土表現の一つとして解釈可能であるかを考察する。遠近法について分析を行う対象は、増上寺本の中でも遠近法の利用が最も意識されている第31~40幅とする。第31、32幅〈六道 修羅〉では、前景から後景にかけて群がる天界の軍勢は、人物の大きさや色彩の濃さの変化によって位置関係が明確である。第33~36幅〈六道 人〉は、既に述べたように孫君澤の山水画を参考にしていると考えられるが、特に第33、34幅は前景から中景にかけて羅漢― 6 ―― 6 ―

元のページ  ../index.html#16

このブックを見る