鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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懐している(注8)。戦前の結びつきが茨城画壇での活動の寄辺となり、画家としての命脈を繋ぎえたものの、戦時下および、戦後という状況が、一時は女流画家としての活躍を嘱望された長山の中央画壇での活躍を遠ざけたことを物語っているのである。3、現存作品の状況と戦後の画風の変遷以上のように、戦中・戦後の動乱と環境の変化によって、同時期に活躍した三谷十糸子らに比して、中央画壇における認知を著しく損ねる結果となった長山だが、幸いにも以降の幾つかの展覧会で、特に近代女流画家の視点から、その人と作品が取り上げられる機会を得ている。しかし、101年に亘る生涯で制作された作品の現存状況およびその具体的内容の整理と調査には未着手の部分が多かったことは否めない。そこで本調査にあたっては、長山の甥である長山昌弘氏、及び昌弘氏の運営する長山財団の協力のもと、同財団の所蔵する長山の遺作への全体調査を試みた。以降、その概要と現存作品から伺える戦後茨城画壇における長山の作画傾向の変化を述べていく。長山の作品は現在、奈良国立博物館が1点、茨城県立近代美術館が4点を所蔵する他、その大部分は長山昌弘氏とその財団が保管している。前述の通り、戦前の主要作品の大部分は昭和20年(1945)の東京大空襲で焼失しており、戦前の作として明らかなものは現在、奈良国立博物館所蔵の長山他、松岡映丘一門による《草枕絵巻》中の「徘徊する振袖の女」と、長山の疎開先である御前山村の関澤家から茨城県立近代美術館に寄贈された第6回帝展出展作《罌粟》〔図1〕を残すのみである。長山昌弘氏および長山財団の保管する一群は、長山の没後、昌弘氏が引き継いだものであり、ほとんどが戦後に描かれたものと見られる。この長山財団所蔵の長山の作品・資料は次のように区分することが出来る。A群 )本画:128点(一部習作と推測されるものも含まれる)B群 )色紙作品:53点C群 )下絵等資料D群 )画材(筆・印章・顔料など)これらの遺作・資料群は、いずれも長山の戦後の画業を検討する上で貴重なものであるが、中でもまず注視すべきなのが本画であり、その内容は末尾に表として一覧にした。本画・色紙を問わず、その画題は長山の画業を通して取り組み続けた花卉が大部分を占め、長山が戦後、中央画壇と距離を置いた後も、身近な草花を画題として自己の画法の研鑽に努めていたことが窺える。年記などが記されていないことから、そ― 155 ―― 155 ―

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