⑯南北文化の交差する場─ピエモンテ地方のゴシック聖堂西正面に関する様式論的考察─序研 究 者:日本学術振興会 特別研究員RPD (清泉女子大学) 茅 根 紀 子アルプス山脈は、西欧美術を理解する上で最も重要な地理的要素の一つである。アルプス以南地域と以北地域は、各々地中海文明とケルト・ゲルマン文明に端を発し、相互に交流を保ちながら独自の文化圏と美術様式を形成してきた。一方、アルプス地域に関しては、南北文化の通り道、もしくは二大文化圏を分かつ障壁として捉えられ、独自の芸術文化の源として考察の対象とされることは少なかったと考えられる。しかしアルプス地域は、中世より、細かなネットワークが隅々まで巡らされた活力ある広大な領域であり、独自の統治体制と文化圏によって特徴づけられてきた(注1)。アルプス美術に独自性を見出し、その造形様式を明らかにすることは、西欧美術の全体的な理解に対して新たな視点を与えるものと思われる。本稿は、15世紀から16世紀初頭にかけてイタリア・ピエモンテ地方に建築されたゴシック聖堂建築(ここではピエモンテゴシック建築ないし聖堂と呼ぶ)を考察の対象とする。ピエモンテはかつて、イタリア・フランス・スイスにまたがるサヴォワ侯国の一部であった。中世においても単なる辺境の地ではなく、ヴィア・フランチジェナは、巡礼者や商人の行き交う場として活況を呈していた(注2)。ここでは、ピエモンテゴシック聖堂の西正面に見られる造形を様式論的に考察することで、南北の狭間に位置するピエモンテが、どのような造形を生み出すに至ったのかを明らかにしたい。1 問題の所在イタリアではアルプス以北に比較してゴシック建築様式が限定的に受容されたが、多くの研究が蓄積されてきた(注3)。しかしこれらの先行研究が、ピエモンテゴシック建築に対して十分な注意を払ってきたとは言えない。ロマニーニは、ロンバルディア地方のゴシック建築を体系的に扱った著作『Lʼarchitettura gotica in Lombardia』(1964年)において、「ピエモンテ地方には多くのゴシック建築が残されているが、ほとんど知られていない」(注4)と述べている。これに対し、近年ピエモンテゴシック建築に関する論文集『Architettura e insediamento nel trado medioevo in Piemonte』(2003年)を編纂したトスコは、状況はあまり変わっていないとしている(注5)。稿者もまた、― 162 ―― 162 ―
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