鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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2 キエリのサンタ・マリア・デッラ・スカラ聖堂ピエモンテ地方には、極めて鋭角のギーベルを持つ15・16世紀の聖堂西正面の作例が多く見られるが、稿者のこれまでの調査から、最初の作例はキエリのサンタ・マリア・デッラ・スカラ聖堂〔図2〕に遡ると思われる。本聖堂は三廊式のバシリカ建築で、南北壁に脇礼拝堂群を配する。三段の切妻屋根は、頂部と段差部に計7本のピナクルを頂く。コーニスは、白の漆喰地を背地とした煉瓦から成る、幾何学模様の帯状装飾によって縁どられる。西正面壁面は煉瓦造の構造体が露出しており、三段から成る四つの控壁が、身廊・側廊・脇礼拝堂の境界に配される。控壁によって五つに分割された西正面は、扉口を持たない両端部を除き、ほぼ左右対称である。中央扉口の上部には、コーニスにまで至る、長尺で極めて鋭角の白い石造ギーベルが設けられる。ギーベルは子羊を載せた角柱を頂き、ギーベル上部両脇に小さな丸窓が配される。この鋭角のギーベルを含む扉口構造体に、アカンサスやロゼッタ、葡萄、螺旋文、ねじれ柱などの浮彫彫刻〔図3〕が施される。本作例のギーベルは、本稿で取り上げる他作例と比較し、洗練された微細な技巧において卓越しており、トスコは「ピエモンテゴシック建築においてもっとも豪華で念入りな部分」(注8)と評価する。中央扉口の左右に位置する、各側廊部に設けられた二つの扉口の上部に、19世紀のフレスコ画がテュンパヌムに描かれた正三角形に近似するギーベルが配されるが、ゴシック期のオリジナルではないと考えられる。両ギーベル上部には、大きな丸窓が開けられている。中世を通して、キエリはピエモンテの商業的・文化的な中心であり続け、1347年にサヴォワ家の支配下に入った後も、その活発な都市文化が衰えることは無かった。本聖堂は1405年に建造が始まり、サヴォワ侯アマデウス八世からの支援も受けながら、1436年に西正面が建造され、トリノ司教によって聖別された。ルネッサンス期からバロック期にかけて、南北の脇礼拝堂と内陣が拡大され、19世紀・20世紀に修復が行われた(注9)。トスコによれば、本聖堂の建築工房は、アルプス以北様式とアルプス以南様式の国際的な交流拠点となっていた。ベルナルド・ダ・ヴェネツィアの手がけた、ミラノのサンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂と平面図が近似していることや、この頃のキエリがミラノ公国と近い関係にあったという歴史的事実から、本聖堂の逸名の建築家はロンバルディアに由来すると推測される。一方、建造が終盤に差し掛かるにつれて「ブルゴーニュ」からの影響が強まり、特に西正面の中央ギーベルに顕著であるとトスコは述べる(注10)。稿者もまた、15世紀前半のピエモンテに、本聖堂に見られる彫刻作例と同水準の石造彫刻が殆ど見当たらないことから(注11)、アマ― 164 ―― 164 ―

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