鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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デウス八世による寄進が契機となり、アルプス以北地域から石工が招聘され、鋭角のギーベルがピエモンテで受容された可能性は高いと考える。しかし、権勢を誇るアマデウス八世の趣味を受けて新しい造形が生み出されたにしても、これはフランスのゴシック建築様式とはまた異なるものである。当聖堂のギーベルはコーニスにまで達し、その頂部の角度は多くのアルプス以北の作例よりもさらに鋭く、また中央にただ一つ配される。ギーベルがファサード全体を支配するが如き強い印象を受ける。このようなギーベルの使用はアルプス以北には見られない。政治的理由から鋭角のギーベルが受容されたというのなら、アルプス以南の人々にとって奇異なこの建築モティーフを、より穏便に取り入れるような別の手法もあったのではないだろうか。しばしば指摘されるように、アルプス以北のゴシック聖堂には、視覚的に不安定ながらも力強く上昇するような造形的傾向が認められる。西正面の搭状比はしばしば高く、鐘楼を西正面の両端に頂く作例が多い。一方、古典美の伝統が色濃いアルプス以南のゴシック聖堂の場合、搭状比は低めであり、西正面の壁面中央が最も高い作例が多い(注12)。様式論的に考察するならば、本聖堂は、相反する二つの造形的傾向、すなわち、視覚的な不安定さによって生み出される上昇感に特徴づけられるアルプス以北の造形的傾向と、視覚的な安定感を重視するアルプス以南の造形的傾向とを、いかにして融合させるのかという造形上の問題に対する一つの方策を示している。切妻屋根を頂く本聖堂西正面は、中心線が最も高いことから、視覚的基盤となる壁面自体に安定感が感じられる。この西正面中央に、長尺で極めて鋭角のギーベルを楔のように配することで、西正面の中央軸と頂部とが強調される。すなわち、アルプス以北では上昇感を与えていた鋭角のギーベルが、ここでは西正面自体に上昇感を与えると共に、視覚的安定感を与えているのだ。本聖堂西正面は、南北両様式の要素を示しながらも、単なる折衷様式を超えた独自の造形性を獲得したと言える。3 様式の展開キエリのサンタ・マリア・デッラ・スカラ聖堂に見られる新しい建築様式は、その後、ピエモンテ地方においてどのように受容され、展開していったのだろうか。大まかな制作年代に従って様式の変遷を確認していく。ヴェルツオーロのサンティ・フィリッポ・エ・ジャコモ聖堂西正面〔図4〕は、漆喰の剥落により露出した壁面構造から、幾度もの改築を経て形成されたことが確認できる。テュンパヌムの背後から立ち上がるように設けられたギーベルは、1430年から1441年、すなわちサンタ・マリア・デッラ・スカラ聖堂西正面が建設された時期と同時期か、もしくはやや後に建造され― 165 ―― 165 ―

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