た。ギーベル頂部を遮る庇は、1459年、フレスコ壁画を保護するために設けられたものである(注13)。この時期のピエモンテ地方の作例としては珍しく、ギーベルが正三角形に近似していることから、いまだキエリの新様式の影響が及んでいないことがわかる。アヴィリアーナのサン・ジョヴァンニ聖堂西正面〔図5〕は、ヴェルツオーロのサンティ・フリッポ・エ・ジャコモ聖堂西正面よりもやや後、1445年から1450年頃に建造された(注14)。中央に極めて鋭角のギーベルが認められ、キエリの新様式からの影響がピエモンテに伝播し始めたことが窺われる。興味深いのは、ギーベルとテュンパヌムの位置関係が両作例で異なることである。先行するキエリのサンタ・マリア・デッラ・スカラ聖堂では、テュンパヌムは鋭角のギーベルに内包される。一方、アヴィリアーナのサン・ジョヴァンニ聖堂では、テュンパヌムの上部にさらに基壇部を設け、その基壇部からやや幅の狭いギーベルが立ち上がっているため、ギーベルを含めた扉口構造体は、上方へと引き延ばされたような印象を与える。本聖堂の搭状比が高いために、長尺のギーベルをテュンパヌム上部から直ちに設けると、壁面全体の視覚的安定感が失われると考えたのだろうか。クネオのサン・フランチェスコ聖堂西正面〔図6〕は、1477年以降から1510年頃に建造された(注15)。注目すべきは、煉瓦造の扉口が多いピエモンテゴシック建築には珍しく、ギーベルを含む扉口が石造である点である。扉口を制作したとされるツァブレリ兄弟は、山深いマイラ谷のキアブレリ出身で、この地域一帯に、洗礼盤をはじめ多くの石造彫刻を遺している。ドロネロのサンティ・ポンツィオ・エ・アンドレア聖堂の西正面扉口〔図7〕並びに、キアブレリに程近いサンタ・ダミアーノ・マクラのサンティ・コスマ・エ・ダミアーノ聖堂の西正面扉口〔図8〕もまた、ツァブレリ工房作とされる。細部に見られる様式の変遷も興味深いが、ギーベル頂部の角度にも相違が認められる。ツァブレリ工房による大らかなアカンサス文様〔図9〕は、この時代のピエモンテにおける石造彫刻の水準を示している。ピエモンテでは型押し煉瓦を多用した建築装飾が重用されたが、これはピエモンテ人の嗜好を示すとともに、細かく彫り込まれた彫刻装飾を制作するには、腕の良い石工が限られていた為と考えられる。サルッツォのサンタ・マリア・アッスンタ聖堂〔図10〕は、1491年から1501年までの短期間に建造されたが、西正面の外壁は今日にいたるまで未完成のまま残される(注16)。本聖堂西正面にもまた、中央扉口上部に極めて鋭角のギーベルが配される。しかしこのギーベルは、これまでの作例と比較してさほど長尺ではない。左右扉口上― 166 ―― 166 ―
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