鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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結部に配されるキールアーチ状のギーベルや三つの丸窓と調和し、突出した存在感は感じられない。全体的な印象として、ルネッサンス建築様式のピエモンテへの到来を予感させる。ルネッサンス様式で再建されたトリノのサン・ジョヴァンニ・バッティスタ大聖堂は、本聖堂が聖別された四年後の1505年に聖別された(注17)。アオスタのサンティ・ピエトロ・エ・オルソ聖堂西正面〔図11〕は、1494年から1496年頃に建造された(注18)。典型的なピエモンテゴシック聖堂西正面の形式を示し、正面扉口上部には極めて鋭角のギーベルが配され、ギーベル上部のピナクルは西正面頂部よりも高い。ギーベル頂部の角度は、キエリのサンタ・マリア・デッラ・スカラ聖堂西正面のギーベルと比較して、さらに鋭くなっていることが確認される。サルッツォのサンタ・マリア・アッスンタ聖堂では、鋭角のギーベルの存在感は西正面全体において相対化されていたが、同時代のピエモンテにおいて、極めて鋭角のギーベルが依然として根強く受け入れられていたことが分かる。15世紀末から16世紀初頭に改築されたランヴェルソのサンタントニオ聖堂西正面(注19)〔図12〕は、これまで確認してきた作例とは異なる造形様式を示す。正面ポーチの中央扉口上部に加え、左右の扉口上部にも、長尺の極めて鋭角のギーベルが配されている。これまでの作例では、壁面中央に楔のように配されたギーベルが、西正面に対して上昇感と共に視覚的安定感を与えていた。しかし本作例では、正面ポーチの三つのギーベルに加え、切妻屋根の上に三本のピナクルが配されているため、視覚的な安定感があまり感じられず、むしろ不安定かつ上昇していくような印象がある。西正面改築の寄進を行ったジャン・ドゥ・モンシェニュは、フランスのドーフィネ出身のアントニウス会士だった。フランスでは、鋭角のギーベルを西正面に三つ並列する形式は一般的である(注20)。ランヴェルソの特異な造形様式が、その後のピエモンテで受容されることは無かった。以上、ゴシック末期のピエモンテ地方によくみられる、長尺で極めて鋭角のギーベルが西正面の中央扉口上部に配された作例を、制作年代に従って確認してきた。最初の作例は、1436年に聖別されたキエリのサンタ・マリア・デッラ・スカラ聖堂西正面である。上昇感を求めるアルプス以北の造形様式と、安定感を求めるアルプス以南の造形様式がここに融合し、単なる折衷様式を超えたピエモンテ独自の建築様式が誕生した。この新様式はピエモンテで広く受容された。テュンパヌムとギーベルの位置関係には多様性がみられ、西正面のプロポーションやその他の建築モティーフとの関係― 167 ―― 167 ―

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