鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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注⑴ 西田直樹「増上寺蔵『五百羅漢図』の成立過程の研究」『作大論集』2、作新学院大学、2012⑶ 「狩野一信」森大狂『近世名匠談』春陽堂、1900年⑷ 坂本勝成「江戸の不動信仰─目黒不動の場合」宮坂宥勝編『不動信仰事典』、戒光祥出版、⑵ [ ]内の提唱者の氏名は以下の通り。敬称略、順不同。梅沢恵、鈴木泉、沖松健次郎、岡本⑸ 田村正彦「続・子を食らう餓鬼─図像の流布とその背景」『古典文藝論叢』1、龍谷大学、⑹ 坂本満「異文化に対応する表現─「異国趣味」の諸問題─」坂本満他編『南蛮屏風集成』、中⑺ 金子信久「五百羅漢図」解説、『亜欧堂田善の時代』府中市美術館、2006年3月、175頁幅〈十二頭陀 節食之分〉では淡墨を塗り重ねて影を作り、光に対置される影の表現でありながら食事制限の厳しさや外界からの遮断を、第49、50幅〈十二頭陀 冢間樹下〉〈十二頭陀 露地常坐〉では露天において毒虫や蛇、獣に襲われる恐怖、寒さや闇に打ち勝ち、修行を続ける孤独や厳しさを表現したものと考えることが可能となる。闇に伴う静けさが表現されていることはいうまでもない。阿鼻叫喚による騒々しい地獄や、動物たちが寄り添う賑やかな画幅には相応しくない淡墨の表現なのである。考察の結果、増上寺本における遠近法には、当時、最も精度の高かった亜欧堂田善の銅版画による遠近法の表現が選択、参照され、梵土表現の一つとして用いられていた。また陰影法は、梵土表現の一つというよりも、人智を超えた厳しい修行を乗り越え、あるいは継続する羅漢の精神性を見る者に伝えるためのツールであったと考えられる。以上のことから、逸見(狩野)一信筆五百羅漢図における梵土表象は、近世までの日本絵画における異国表現の集大成であり、江戸という地域で発生した民間信仰にも支えられた特殊性も持ち合わせている。幕末の段階で理解されていた西洋画法の在り方は、一信独特のものであるかもしれず、更に検討を重ねる必要がある。異国イメージの集大成と一信の類稀なる構成力、工房の想像力の結集によって実現された本作は、羅漢という主題にあやかり、時空を超えた普遍的な人間の精神まで描き出そうとした仏教絵画の意欲的作品であると結論できる。年3月麻美、河合正朝。2006年9月2009年3月央公論美術出版、2008年2月― 8 ―― 8 ―

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