そこで、本研究では調査することができた李亨禄の冊架図に帰される冊架図6点と、他の39点、合計45点の冊架図を、形式・技法、モチーフ、遠近法、陰影法において比較分析することで、なぜ李亨禄の冊架図が「精妙さと迫真性」があると高く評価されたのかを明らかにすることを目標にする。ただし、現段階では、45点のうち、24点しか実見調査ができなかったため、あくまでも中間報告であることをお断りしておく。第1章 分析対象現存する45点の冊架図についての情報をまとめたのが〔表1〕である。横の欄には、左端から、作品番号、画家名、支持体、形式、本紙の法量、所蔵先、掲載された図録、モチーフの分析、遠近法の分析、陰影法の分析を記している(注4)。縦の欄には、李亨禄の作品6点から、李亨禄の作品に類似する作品順にまとめている。なお、①~⑥は、李亨禄に帰される冊架図であるが、そのすべてに李亨禄という落款が施されているわけではない。というのも、李亨禄は、鄭炳模によると、1863年に「亨禄」から「膺禄」へ、1871年に「膺禄」から「宅均」へ改名を行ったためである⒢。ただし、今回の分析対象である45点のうち、⑮⑯㉚㉛は、屏風の一部を紛失した可能性が高い上に、再表装によって各扇が独立した枠をもつ形式に変更されたため、遠近法の正確な分析が難しいので排除した。また、㊶~㊺は詳しい情報を手に入れることができなかったため排除した。したがって、形式とモチーフの分析においては、全作品45点を分析し、遠近法の分析においては、⑮⑯㉚㉛と㊶~㊺を除いた36点、陰影法の分析においては、㊶~㊺を除いた40点を分析対象とする。第2章 形式・技法冊架図の形式・技法については、従来四つの点が指摘されている。❶横長の棚を主題としているため、画題に最も適している屏風形式で制作されており、六曲、八曲、十曲一隻が主流である⒜。 ❷建物の構造の理由で、背が高い冊架図は宮廷で、低いものは民間で使用された可能性が高い⒢。❸支持体は、紙本もしくは絹本である⒜。❹岩絵具に膠を用いる伝統的な彩色方法で描いている⒜、❺棚の背面が青色のものは、19世紀中ごろ朝鮮に輸入していたアニリンという西洋顔料が使用された可能性がある⒢⒞。以上の内容は冊架図に関する指摘であるが、すべて李亨禄の冊架図にも当てはまる。❶の点から確認すると、李亨禄の作品は、8曲1隻が3点、10曲1隻が3点伝わるが、ブラックとワーグナーによると、①は左の2扇分が確実に失われ、③は屏風で― 174 ―― 174 ―
元のページ ../index.html#184