鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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⑹ 『国華』の「書」の図版掲載は、明治期は259冊のうち全8件、大正期は162冊のうち全10件のみ 。また、明治期には多田親愛や小杉榲邨、瀧精一による論考が確認されるが、他の分野に比して件数は多くない。⑿ この時期、東京帝室博物館は『帝国美術史料』(明治45年)、『日本美術集成』(大正5年)を刊⑺ 先行研究に太田智己「美術全集の歴史─その始まりから現在まで」『日本美術全集』各巻月報(小学館、2012-2014年)や島本浣『日仏「美術全集」史 美術(史)啓蒙の200年』(三元社、2016年)がある。島本氏は「美術全集」を「作品を図版と文章で紹介する大衆的啓蒙性をもつ美術書のシリーズ」と定義付けている。⑻ 西洋的な「美術」概念導入による「書」への影響は、瀧精一(滝拙庵「書道と美術」『国華』⑼ 関根正直「書法の由来を述べて其美術なる所以に及ぶ」『皇典講究所講演』第30号、皇典講究所、1890年5月。川田剛「書は美術たるの説」『東京学士会院雑誌』第14編之9、東京学士会院、1892年10月。⑽ 明治39年には横井時冬著『大日本能書伝』が刊行された。小杉榲邨が寄稿した序文では、『大日本美術史』と合わせ見る本として「十余年前」に既に完成していた経緯や、難波津会の仮名研究や古筆了仲の『扶桑画人伝』の影響を指摘している。⑾ 審美書院の出版は、村角紀子「審美書院の美術全集にみる「日本美術史」の形成」(『近代画説』⒀ 他に、国華社では「書」としては唯一、『王右軍書記』(明治44年)を刊行している。また、この時期は古筆研究が盛んとなり、茶の湯において古筆が愛好されたこともあって、田中親美が古筆に特化した『月影帖』(明治41年)や『古筆名巻集』(明治43年)を刊行した。⒁ 「開巻の辞」『書苑』第5巻1号、法書会、1915年3月。⒂ 「書苑第一号出づ」『朝日新聞』朝日新聞社、1911年11月5日。⒃ 後藤朝太郎『文字の研究』成美堂、1910年。⒄ 『書苑』の編輯員は、書学の発展について、「書苑初発以前の状勢と、以後の状勢とを比較する時は、昼夜黒白の差ありて、初発以前に於ては、書学研究といふことは、世人の問題にすら上らざりし時日の可なり長かりしものなりしを、吾人が書苑初発以後は、漸々書学振興の気運を増進せしめ…書学に志すものの多数を得」たと評価した(法書会書苑編輯員一同「改巻号弁言」『書苑』第10巻1号、法書会、1919年5月)。また、比田井天来や大村西崖も、『書苑』刊行による書学の振興を評価している(比田井天来「簡易学習法」1922年(『天来翁書話』飯島書店、1936年))、大村西崖『東洋美術史』図本叢刊会、1925年)。⒅ 伊東は「書も亦芸術の一科であるが、特に支那に於ては、書は極めて重要なる位置を占めて居る。凡そ支那芸術を研究せんとする者は、必ずその書を研究することを忘れてはならぬ」と述べている(「広東訪碑」『書苑』第3巻4号、法書会、1913年10月)。⒆ 大村西崖の出版は、吉田千鶴子「大村西崖と中国」(『東京芸術大学美術学部紀要』第29号、東⒇ 下中彌三郎「美術の大衆化」「世界美術月報」第1号『世界美術全集』第17巻、平凡社、1927 アンドレ・ミシェルAndré Michelはフランスの美術史家で、その「美術史」はHistoire de lʼart, から「絵画」・「書」に分離している。第422号、国華社、1926年1月)等によって数多く指摘されている。第8号、1999年12月)に詳しい。行したが、両者とも「絵画」と「彫刻」の図版が主である。京芸術大学美術学部、1994年3月)に詳しい。年11月。『平凡社百年史 別巻 下中彌三郎と平凡社の歩み』平凡社、2015年。― 192 ―― 192 ―

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