鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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⑲ジョルジュ・ド・ラ・トゥールのカラヴァッジスム受容に関する研究─「炎に息を吹きかける少年」の図像を中心に─「炎に息を吹きかける少年」の図像変遷研 究 者:国立西洋美術館 研究補佐員  秋 元 優 季問題の所在フランス北東部ロレーヌ地方で活動した画家、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)は広義のカラヴァジェスキであると理解されている。しかし、ラ・トゥールの修業時代については明らかではなく、どのようにカラヴァッジスムに接触したかは謎である。また、ラ・トゥールが「夜の情景」に専念するようになったのは、カラヴァッジスムが衰退し始める1630年代後半のことであり、他の画家から数十年遅れている。以上に述べた事実は、この画家のカラヴァッジスム受容がいかに複雑であるかを示している。カラヴァッジスム研究においては、広範囲にわたる動向を体系化したニコルソンの研究が際立つが(注1)、カラヴァッジスム受容の過程とその度合いは、個別の画家によって差異があり、より詳細な調査の余地がある。本研究では、北方のカラヴァジェスキが頻繁に描いた「炎に息を吹きかける少年」を主題とした同時代の作品と、ラ・トゥールの《煙草を吸う男》〔図1〕との比較分析を通して、ラ・トゥールがどのような態度でカラヴァッジスムをとり入れ、いかにして独自の様式に変容させていったのかを考察したい。「炎に息を吹きかける少年」の主題は、ラ・トゥールの時代、北方のカラヴァジェスキの間で流行したが、その先行例はカラヴァッジョ(1571-1610)以前に遡ることができる。大プリニウスの『博物誌』には、紀元前4世紀に、アペレスの好敵手であったアレキサンドロスのアンティフィロスが同様の主題を描いことが記されており、これが当主題の嚆矢であると考えられる。エル・グレコ(1541-1614)はローマのファルネーゼ家に滞在していた時期、プリニウスの記述から主題を選択して《燃え木でロウソクを灯す少年》〔図2〕を描いた。一方で、ヤコポ・バッサーノ(1510年頃-1592年)の作品のなかにも、炎に息を吹きかける少年が登場することも見過ごすことができない〔図3、4〕。過去に様式上の類似からグレコの作品をバッサーノに帰属した研究者もおり、プリニウスからの文学的源泉の他に、グレコがヴェネツィア派絵画から受けたであろう影響も考慮されるべきであろう。グレコの作品は1622年までファルネーゼ家に存在していたことが確認されており、カラヴァジェスキたちの着想源と― 197 ―― 197 ―

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