《聖アレクシウスの遺体の発見》(注7)ことも、画家たちの普遍的な光への探求心を示しているのだろう。ラ・トゥールによる《煙草を吸う男》次に、前述した作品群とラ・トゥールの作品の関係について考えてみたい。ラ・トゥールによる《煙草を吸う男》は、1973年に南仏で発見され、同年、ローザンベールとマセ・ド・レピネによる著作の中にラ・トゥールの真作として掲載された(注4)。翌年、ニコルソンとライトは工房作であると鑑定した(注5)。テュイリエやキュザンは、真作であることは認めつつ、息子エティエンヌが制作に介入した可能性を示唆しており(注6)、現在ではこの説が広く受け入れられている。カンヴァスの裏には「1646」という年記がある。ラ・トゥールの《煙草を吸う男》は同時代のカラヴァジェスキたちから約20年ほど遅れて制作された。そこには、先行作品に登場する兵士の格好をした人物とは趣の異なる上品な身なりをした若者が描かれている。静止したような人物描写により、先行作品のような活気は存在しない。画家の晩年の特徴である、形態の幾何学性、柔和な光が作り出す色彩の調和も画面に圧倒的な静謐さをもたらす要因である。ラ・トゥールは、先行する主題を踏襲しながも全く趣の異なる作品に仕立て上げた。それだけではなく、ここで描いた少年をさらに別の主題へと発展させて、完全に独自の構図を作り出したことを指摘する。ラ・トゥールは《煙草を吸う男》を《聖アレクシウスの遺体の発見》〔図7〕(模作のみ現存)へと発展させている。作品の分析に入る前に、このあまり聞きなれない主題について簡単に説明しよう。この聖人の生涯については『黄金伝説』が伝えている。ローマの若い貴族アレクシウスは、結婚の直前に、悔悛と清貧の生活に身を投じることを決意し、17年間パレスチナで過ごした後に実家に戻る。その後は正体を明かすことなく、最も身分の低い召使となり、17年後にひっそりと生涯を閉じる。聖アレクシウスへの崇敬は中世に広まり、ロレーヌでは20世紀初頭まで盛んだったようである。また、ラ・トゥールの生地であるヴィック=シュル=セイユの住人たちは、15世紀にこの聖人と似通う境遇に身を置いた、ベルナール・ド・バーデ(Bernard deBade)へ強い崇敬の意を抱いていたようであり、ラ・トゥールもこの主題に親しみを持ったのだろう。1649年1月、リュネヴィル市が、フランスから派遣されロレーヌを統治していたラ・フェルテ総督に、ラ・トゥールが描いた「聖アレクシウスの絵」― 199 ―― 199 ―
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