を新年の贈り物として贈呈した記録が残されている(注8)。したがってラ・トゥールは1648年の末頃にこの主題を描いたと推測でき、現在は古い時代の優れた模作がその構図を伝えている。ここに登場する小姓の衣裳と《煙草を吸う男》の少年の身なりは酷似している。ゆるやかに巻きつけられた頭髪、金の鎖飾のついた帽子、金色に縁取られた白襟や朱色の袖は、両者に共通している。また、身なりだけではなく姿勢も似通っている。小姓は右手にたいまつを持ち、左手はそっと聖人の遺骸を覆うマントをはらっている。《煙草を吸う男》の少年も右手に薪を持ち、左手の指先でパイプを持っているが、両者の左手の手つきはほとんど同じである。同時代において、聖アレクシウスを主題とした作品が制作されることは極めて珍しい(注9)。数少ない作例のなかにおいても、少年と聖人の遺体が対峙する図像はラ・トゥールの他には確認されていない。ラ・トゥールはこの聖人の物語を絵画化するにあたり、少年が聖人の遺体を発見するという特異な場面を構想し、独自の構図を作り上げている。ラ・トゥールは地元に特有の主題を絵画化するにあたり、過去に繰り返し描かれた主題からモティーフを転用したのだろう。しかし、それを見事に別の主題へと昇華させており、単なる様式受容の範疇にはおさまらない独創的な構図を成立させたのである。ラ・トゥールのカラヴァッジスム受容に関する問題点以上、ラ・トゥールの《煙草を吸う男》と先行作品との分析を通して、ラ・トゥールは同時代に繰り返された単純な主題を極めて独創的に仕上げていることが明らかになった。本稿を終えるにあたって、ラ・トゥールがいかにしてカラヴァッジスムを受容したか検討するが、その前に、同世代の画家のキャリア形成過程の傾向について簡単に触れておく。ラ・トゥールと同じく1590年代に生まれた画家の多くはイタリアへ出向き、個人差はあるもののその地で何年間か活動している場合が多い。本稿ではラ・トゥールの画風と経歴について問題にするため、カラヴァジェスキを中心に言及するが、流派を問わず、ラ・トゥールと同年代のフランス人画家の多くはイタリアで学んでいる(注10)。ラ・トゥールがどこで画家としての技術を身に着けたのかは明らかではない。テュイリエが、当時の一般的傾向や、カトリック改革期におけるロレーヌの宗教環境を理由にラ・トゥールのイタリア修行を確信する一方で(注11)、ブラント、ニコルソン、キュザンは、初期のラ・トゥール作品の中の北方的要素から、イタリア修行説には否― 200 ―― 200 ―
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