鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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注⑴ B. Nicolson, The International Caravaggesque Movement, London: Phaidon, 1979; revised and enlarged 定的見解を示している。ホントホルスト、テル・ブリュッヘン、ヴーエ、ヴァランタンなど、ラ・トゥールと同年代の1590年代に生まれた「第二世代のカラヴァジェスキ」たちは、1610-20年代のローマにて、類似した環境下でカラヴァッジョの芸術を受容したため、様式や構図に一定の共通項が見られる。ラ・トゥールがいつ頃からカラヴァッジスムを取り入れ始めたかという問いに正確に答えることは不可能である。しかし、ラ・トゥールは1616年以降ロレーヌでの活動が確認されているため、仮にそれ以前にローマにいたとしても、同世代のカラヴァジェスキたちと長期間にわたり密接な接触を持ったとは考えにくい。ラ・トゥールの作品でカラヴァッジスムの構図が最も分かりやすく表れているのは、1630年代以降の作品であり、とりわけ同時期に専念し始めた「夜の絵」において顕著である。一方で、カラヴァッジスムは1620年頃になると終息の兆しを見せ始め、その後は、ローマから故郷に戻った一部の画家により継続されるにすぎなくなる。ラ・トゥールの様式は必ずしも主流であった芸術運動に沿って発展しているのではなく、なぜ流行が終わる頃にカラヴァジェスキの構図を描き始めたのか、という疑問が残る(注12)。ラ・トゥールの生涯についての多くは記録の網から抜け落ちており、イタリアに行った可能性を完全に否定することはできない。短期間イタリアに旅行し、そこでいくつかの作品を見たのかもしれない(注13)。イタリアとの関係が必ずしもカラヴァッジスムを意味するわけではないとしても、ラ・トゥールの作品の中にイタリアで吸収してきた表現や造形性を見出すのは困難であり、同地に腰を据えて多くを学んだとは考えにくい。ラ・トゥールのイタリア行きに関する問題は複雑であり、いまだ一定の結論を得るには至っていないが、この画家が、北方のカラヴァジェスキたちに特有の夜景表現を受容したのは、自らの画風を確立した後のことであり、過去に繰り返された主題を表面的に借用しているに過ぎないのではないだろうか。カラヴァッジスムはラ・トゥールの作品の一部に着想を与えているが、様式を決定づけたとまでは言い難い。カラヴァッジスムの伝播には、国際的顔ぶれから形成される様々な芸術家が大きな役割を担った。そのためカラヴァッジスムから限られた要素だけを受け継ぎ、独自に発展していった例が見られるが、それが最も明確に示されているのがラ・トゥールの晩年の作品群なのではないだろうか。― 201 ―― 201 ―

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