いる。李鴻章について、題名や文章ではっきりと名が記されているものは5点、「退将」という表記がなされているものは3点であった。ここでの李鴻章の扱いも他の清国兵と同様、よいものではなく、《御敗将》では女装して逃げてしまうような卑怯者として描かれているほか、《清発明の危機》のようにガラクタ同然の装備を大発明だと大喜びする姿で登場している。さらに、当世の人物だけでなく、関羽と曹操といった中国故事の人物もモチーフとなっているものもある。題名は《患かんう呼と愁そうそう傷》〔図3〕で、それぞれの名前をもじったものだということがわかる。画中では、蜘蛛の巣が張られ、ぼろぼろの祭壇の前に大粒の涙を流し坐る関羽と、目に手を当て号泣する曹操の姿が描かれている。内容は、英雄として祀られていた関羽と曹操であったが、清代となると、人々の欲の面が厚くなり、参拝しに来るも賽銭は入れず、堂が壊れていても直さず、掃除すらしない。一方で、日本は評判が良いので、ここで祀られるよりも、五月の節句に笹餅を食べるほうが気楽だという内容を涙ながらに話しているというものである。『三国志』は江戸時代において大変人気を博した小説であり、とりわけ関羽は日本においても神格化され祀られた人物でもある。日清戦争前において、日本の民衆は中国に対し、その文化や歴史に憧れを抱いていたことは確かであるが、開戦後はその評価が急激に下がり、清国に対し憎悪を抱き、軽んじるようになる(注6)。本作でも、三国志の英雄たちが面白おかしく描かれており、人々がそれに対して拒否反応を示していないという点においても、このような日本人の対中認識の変化を読み取ることができる。一方で、日本や日本兵はどのような姿で描かれていたのか。清国兵とは異なり、兵自体が人外で表現されることはなく、人間として描写されている。日本という国として描かれている場合のみ、清国兵ほどバリエーションはないものの、人外のものに見立てられている。例えば、《袋の鼠》において、日本は軍艦に猫の足と耳が生えたものとして表現され、鼠の手足と耳が生えた清国軍艦を追いかける姿が描かれている。本作以外には日本軍もしくはその兵が何かに見立てられ描かれている錦絵はなかったものの、日本兵を巨大化し描いているものはいくつか見られた。巨大化した日本兵が登場する錦絵において、日本兵は清国軍艦を網で掬い上げようとしていたり、領地を吹き飛ばすなど清国兵らを様々な形で攻撃しており、清国兵が怯えて逃げている姿が描かれている。とりわけ《向ふ所に敵なし》〔図4〕では、海より来た巨大な日本兵が「山燈照」と記された灯台を地面から抜き取る姿が描かれており、その周囲には清国兵のほか、清国の女性、そして西洋人が配されており、皆一様に驚く様が描写されている。山燈照は山東省のことであり、それを日本兵が掴んでいる点から、本作は明― 208 ―― 208 ―
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