治28年1月の「威海衛の戦い」を題材としたものだと推測できる。この戦闘後、清国は降伏し停戦を申し出ている。このような背景から、巨大な日本兵は日本の国威を象徴するものであり、清国や列強をも驚かせるという意味をふくませた錦絵であると考えられる。このような錦絵に共通して、清国や清国兵は臆病で見栄っ張りで、日本や日本兵は勇ましく立派であるという表現がなされている。また、清国兵の描かれ方や表現のされ方をみると、主題はあくまで清兵とその兵士であり、日本や日本兵は、前述しているイメージを強調するための脇役として登場しているにすぎないという印象を受ける。2-2 モチーフの描写表現について次に、描かれたモチーフの描写についてみていく。先行研究において、清親の諷刺画にはアメリカの諷刺雑誌『パック』といった海外諷刺雑誌に影響を受けていることが明らかとなっている。例えば、『日本万歳』シリーズの《ぶるぶる退将》で描かれた「退将」がぶるぶると震えている描写表現が、『パック』に掲載されていた「弱気になっているスミス市長」と類似していると指摘されている(注7)。また、同じく『パック』の「現代の鉄道巨人」〔図5〕における巨大化表現は、前述した日本兵を巨大化する表現と同じものである。清親が『日本万歳』シリーズを制作する際、『パック』の漫画を参考にしていたという確証は無いが、このように複数の錦絵に類似する点がみられることから、何かしらのアイディアを得ていたのではないかと考えることができる。また、清親が『団団珍聞』の紙面漫画と比較してみても、同じように表現の類似性を指摘することができる。例えば、明治18年の「目を回す器械」〔図6〕と《御注進御注進》〔図7〕では、人物がぐるぐると目を回している描写や、手のポーズなどほぼ同じ表現がなされている。また、《熱い面の皮》〔図8〕の清国兵の顔を日本兵が削る姿は、明治20年の「化粧部屋京都い騒ぎ」〔図9〕に描かれた、おしろいを削り取る職人の姿とよく似ており、『団団珍聞』でのアイディアを『日本万歳』に生かしている。このように、西洋的な諷刺画表現を模倣するだけでなく、清親が『団団珍聞』等での諷刺画制作の中で培ってきた独自の表現を日清戦争期の諷刺画に生かしていることがわかる。― 209 ―― 209 ―
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