注⑴木本至『「団団珍聞」「驥尾団子」がゆく』白水社、1989年⑵清水勲『自由民権期の漫画[本多錦吉郎・小林清親]近代漫画Ⅱ』筑摩書房、1985年、38頁⑶清水勲「明治諷刺画史における小林清親」『日本の美術368 清親と明治の浮世絵』至文堂、おわりに日清戦争期、数多くの戦争錦絵が制作されたが、その大半は日本軍の強さと武勇を表現することを伝えるものばかりであった(注8)。この時期、清親もまた戦争錦絵を多数制作しているが、日本兵らが行軍する姿や野営している様子など、他の絵師とは違う視点で場面を選択している。そして、それらは、かつて清親が描いていた「光線画」を彷彿とさせる、光と影を意識した描写をもって錦絵に表現されており、他の絵師の作品とは一線を画すものであった。『日本万歳 百撰百笑』もまた、ただ単に人々の戦勝ムードを煽るものではなく、かつての大国であった清国に対し厳しい批判の目をもって描いた作といえる。「東京名所図」シリーズの後、清親は次なる活躍の場として諷刺画を選択した。また、浮世絵画法のみならず、油彩画や写真など幅広く学習してきた清親は、多彩な発想をもって数多くの諷刺画を手掛けている。さらには、清親が旧幕臣であり、明治14年の政変以降、新政府に対して憤りを感じたことにより、人々の評判となるような諷刺画を制作できた。このような活動を経て、清親は日清戦争期において戦争錦絵や諷刺画を制作し、独自の視点と幅広い描写表現によって、他の絵師とは違う戦争を描き出したのだといえる。1997年、90頁⑷興津要「団団珍聞」『国文学研究』早稲田大学国分学会、1962年、186頁⑸清水勲『日本近代漫画の誕生』山川出版社、2001年、43頁⑹生方敏郎『明治大正見聞史』中央公論新社、1978年、34頁⑺前掲『日本近代漫画の誕生』43頁⑻『日清・日露戦争とメディア』川崎市市民ミュージアム、2014年、13頁― 210 ―― 210 ―
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