鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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㉑ 近世江戸における仏教美術の受容と伝播─清凉寺釈迦如来像の江戸出開帳の影響を中心に─研 究 者:川村学園女子大学 文学部 准教授  真 田 尊 光はじめに京都嵯峨・清凉寺の本尊釈迦如来立像は三国伝来の霊験像として、古来より多くの信仰を集めてきた。同像は東大寺僧奝然が寛和2年(986)に中国・宋から日本に持ち帰ったもので、インドで釈迦在世時に造立されたという伝承を持つ釈迦像を台州で拝した奝然が現地の仏師に依頼して模刻させた像とされる(注1)。さらに平安時代末期から、この清凉寺釈迦像を模した像、いわゆる清凉寺式釈迦像の制作が盛んとなったことも周知の通りである。それら清凉寺式釈迦像は現在国内に百軀を超えて存在するといわれ、なかでも代表的存在といえるのは鎌倉時代に真言律宗を立ち上げた西大寺・叡尊とその教団による一連の造像であり、先学による様々な視点からの研究が蓄積されている(注2)。ところで、近世においても清凉寺式釈迦像の造立は継続しており、模像の存在は以前から確認されてきた。とくに江戸市中では本家である清凉寺釈迦像の出開帳が盛んに行われており、出開帳が江戸周辺の模像作成の契機となったであろうことは想像に難くない。そこで、本研究では清凉寺釈迦像の江戸出開帳に注目し、同開帳と関連する作品の検討を通して、近世江戸における仏教美術の伝播と受容のありかたを考えてみたい。1、清凉寺釈迦像と江戸出開帳の概要及び先行研究まずは清凉寺釈迦如来立像(以下、清凉寺像)の概要をみておきたい(注3)〔図1〕。同像は像高162.6cm、サクラ材による木彫像で、像表面は現状素地を呈している。像容は右手は屈臂して胸前で五指を伸ばす施無畏印、左手は垂下してやはり五指を伸ばした与願印をあらわし、両足を肩幅の広さに開いて蓮華座上に直立する。同像の特徴的な表現として、頭部は縄状の頭髪で地髪部は正面中央で渦を巻き、面部は面長で額が狭く大きな眼と長い鼻梁により異国的な面貌を示し、着衣は通肩にまとった大衣と衣の下の肉づきが強調され、衣文は胸部中央から同心円状に広がり、下半身にまとう裙の裾を二段とする点などが挙げられる。清凉寺像の模像は、上記のような部分的な特徴をシンボリックなかたちとして踏襲して造立されていることが指摘されている(注4)。― 213 ―― 213 ―

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