鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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峨五臺山清凉寺」が印字され、画面上部3か所に「バク(梵字)」(朱文宝珠印)が押され、画面左下には「十一世 錬誉尭雲」の墨書銘と朱文壺形印が押される。さらに釈迦像の左右には墨が無い部分がごくわずかな幅で縦方向に真直ぐ続いていることが確認できるため、版木は縦長の板3枚を連結していたことがわかり、左右の線の間隔から中央の板は幅約26cmと推定される。墨書の人物は清凉寺11代住職・錬譽堯雲上人とみられ(注17)、現時点では詳細不明ながら18世紀後半に活動した人物のようであり、この版本が摺られた時期もその頃とみられる。一方、金沢文庫本は本紙縦138.8cm、横60.3cm、像高約80cmで、称名寺本と同様に画面右下に「嵯峨五臺山清凉寺」の印字があり、さらに版木はやはり板3枚を連結したものと推測され、中央の板の幅のサイズも共通している〔図6〕。つぎに、これら二つの版本の釈迦像と(2)の版木(ア)の画像を左右反転したものと比較すると、金沢文庫本と版木(ア)が全く同じであることが判明する〔図7〕。また、先に見た通り版木の寸法や像高も齟齬せず、さらに金沢文庫本の釈迦像の面部と脚部の周辺には不規則な六角形状に墨が無い部分があり、これは版木(ア)の彫り直しの埋木の形状と一致するのである。したがって、金沢文庫本は版木(ア)を用いて摺られていると考えられよう。さらに、称名寺本と金沢文庫本の釈迦像の図様の違いについてもあらためて検討したい。二つの釈迦像で明らかに異なるのは、頭部、面部、裙の裾の表現である。頭部・面部では頭髪の渦巻の形状、面部の輪郭、顔の各部位、視線の方向、ひげの表現などが異なっている。裙の裾では、称名寺本は二段の裾が直線的に平行に並び、縦方向の皺が小刻みに重なり合っているのに対し、金沢文庫本では裾先が縮れて大きく波打ちながら重なり合う表現となっている。しかしながら、その一方で両者の他の部分を比較すると、完全に一致することに気づく。さらに両者の表現が異なるこれらの部分は、先に版木(ア)で確認した埋木によって彫り直された部分である。称名寺本に埋木の痕跡がないことも踏まえれば、どちらも版木(ア)から摺られたのではないだろうか。つまり、当初の版木(ア)で摺られたのが称名寺本、版木に埋木をして彫り直した後に摺られたのが金沢文庫本と考えられるのである。つづいて(1)の一蝶筆釈迦像と二つの版本を比較したい。像高は前者が約30cmで後者が約80cmと大きく異なるが、三つの釈迦像を比べると、一蝶筆釈迦像は称名寺本と極めて似ていることが判明する〔図8〕。したがって、一蝶は称名寺本と同じ版本を手本に(1)の釈迦像を描いた可能性が高い。なお、釈迦像の大腿部の衣文や光背の内縁部の雲気文と外縁部の唐草文が両者― 217 ―― 217 ―

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