注⑴清凉寺釈迦如来立像の基本情報については、『日本彫刻史基礎資料集成 平安時代 造像銘記篇 一』中央公論美術出版、昭和41年(1966)及び、奥健夫『日本の美術513 清凉寺釈迦如来像』至文堂、平成21年(2009)を参照。おわりに清凉寺釈迦像の近世の江戸における模像制作は、やはり出開帳が大きな契機となっており、制作においては清凉寺像そのものを模すのではなく、参詣者に頒布された版本の御影を手本にして彫像や画像が制作されるという状況にあったことを今回の調査で確かめることができた。さらに、御影の版木と版本の実物を確認することができたのは幸いであった。中世において礼拝や儀礼を目的として彫刻の霊験像の画像、いわゆる彫刻写しの画像を作成することは、清凉寺像に限らず広く行われていたが、出開帳の御影はそうした霊験像の画像の延長線上にあると思われる。近世の江戸における霊験像の受容や模像制作の実態については、今回調査した清凉寺像についてもまだ不十分であり、さらに例えば成田山不動明王像など他の像に関しても検討すべき余地は大きい。今後範囲を広げてさらなる調査を行っていきたい。⑵津田徹英「善光寺阿弥陀三尊像と清凉寺釈迦如来像の模刻造像の時機」『中世文学と寺院資料・聖教』竹林舎、平成22年(2010)の注において、清凉寺式釈迦像に関する先行研究がまとめられている。⑶前掲注⑴書参照。⑷前掲注⑵津田論文、317頁~318頁参照。⑸比留間尚「江戸の開帳」『江戸町人の研究 第二巻』吉川弘文館、昭和48年(1973)参照。⑹『増訂 武江年表1』(東洋文庫116)平凡社、昭和43年(1968)及び、『嬉遊笑覧(三)』(岩波文庫)岩波書店、平成21年(2009)参照。⑺塚本俊孝「嵯峨釈迦仏の江戸出開帳について」『仏教文化研究』6・7号、昭和33年(1958)及び、海原亮「嵯峨清凉寺釈尊の江戸出開帳と住友」『住友史料館報』36号、平成17年(2005)参照。⑻前掲注⑺海原論文によれば、享和元年の「出開帳控」により、縁起数種、血脈数種、中御影数種、小御影数種、米袋、火除の御守、六字名号、数珠などが大坂から江戸へ運搬され、会場で販売されたという。⑼同釈迦如来立像は足立区立郷土博物館の平成24年度特別展「足立の仏像─ほとけがつなぐ足立の歴史─」において展示。同展覧会図録参照。筆者は当時同館専門員として、釈迦像を調査・展示する機会を得た。⑽承教寺の調査では関勝宣住職にご配慮を賜った。清凉寺での版木の調査に際しては同寺鵜飼光暁師にご高配を賜り、京都橘大学准教授小林裕子氏にご助力を得た。神奈川県立金沢文庫の調査では同館学芸員梅沢恵氏にご協力を頂いた。この場を借りてあらためて感謝申し上げます。⑾小林忠『日本の美術260 英一蝶』至文堂、昭和63年(1988)参照。― 219 ―― 219 ―
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