鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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㉓ 陸信忠筆「仏涅槃図」に関する研究研 究 者:大阪大学 文学部 助教  高 志   緑はじめに陸信忠筆「仏涅槃図」〔図1、以下、本図と称する〕は、その入念かつ色鮮やかな絵画表現が魅力的な、南宋仏画の優品である。本図は、「慶元府車橋石板巷 陸信忠筆」の銘文より、南宋末から元初期にかけて、中国・江南の寧波の地に工房を構えた陸信忠の作品であることが分かる(注1)。本図の主題は、釈迦の入滅であり、釈迦の忌日に行われる涅槃会の本尊画像として描かれたと考えられる。本図は数ある涅槃図に比べると、特異な点がいくつも見出されるため、先行研究によって「風変わりな一例」、また「明時代以降に描かれた祝祭的雰囲気をたたえる涅槃表現の嚆矢」とされてきた。しかし、特異とされる点を同時代以前の大陸の作例と比べると、先例に則った古風な表現があることが判明する。本稿では、本図の図様を確認し、それらを同時代以前の作品と比較し、特異な図像の再解釈を試みる。本図の考察を通じて、寧波仏画の一側面を明らかにし、本図を美術史上に位置づけ直したいと思う。1.本図の概要と先行研究本図は、縦157.1cm、横82.9cmの絵絹に描かれる。現在は奈良国立博物館に所蔵されているが、もと愛知県宝寿院に伝来し、それ以前は隣接する津島神社の牛頭天王に奉納されており、請来された時期や経緯は不明である(注2)。陸信忠筆の銘を持つ作品には、多数の十王図といくつかの十六羅漢図が知られており、涅槃図は、本図が唯一の現存作例である。なお、陸信忠銘の十王図に関しては、作品間の画技に精粗があるため、それを工房内の差異と解釈する意見もあれば、「陸信忠」という落款を一種の登録商標とみて、時代の推移による差異と解釈する意見もある。本図は陸信忠銘を持つ作品中、法量も最も大きく、恐らく陸信忠本人が手掛けた質の高い作例とみなされる。陸信忠の活躍時期は、銘文にある「慶元府」という地名より、現在の寧波が慶元府と呼ばれた、南宋の慶元元年(1195)から元の至元十四年(1277)の間と考えられるので、本図のおおよその制作時期もこの頃と考えられている。まず、本図の図様を確認する。画面中央には、豪華に荘厳された宝台と右手を枕に横たわる釈迦が大きく描かれ、宝台の上には六人の仏弟子が座している。左から、鐘― 235 ―― 235 ―

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