2.図像源泉と図像の再解釈では、本図の図像源泉を探るべく、同時代やそれ以前の作品と比較を行う。本図の中央の宝台は、側面を見せず一点透視のように表され、その前に香炉を載せた机が置かれる。これは渡辺氏の指摘のように、南唐の作とされる南京・棲霞寺舎利塔基壇の一面〔図2〕に先例を見出せる。横たわる釈迦の姿勢についても、右脇を大きく開いて腕枕し、左手は体側にぴったり添わせ、足先を揃える姿が共通している。こうした釈迦の姿は、10世紀から11世紀の作例に見られ、河北省・定県浄衆院舎利塔壁画の涅槃図〔図3〕、遼寧省・朝陽北塔出土の木胎銀棺涅槃線刻〔図4〕、北京出土の首都博物館蔵「舎利石棺」〔図5〕に共通する。樹木の本数や形状について見ると、大陸の涅槃図では棲霞寺舎利塔のように二本に表す作品が多く、北京出土の舎利石棺では三本に表される。それらの樹木は上方が途切れた形で表されるが、少なくとも下方の枝葉の形は本図に近似していると思われる。なお、棲霞寺舎利塔基壇の他の面には、細身で背の高いロケット型の樹木や、葉の生い茂る枝をいくつかの層に分けて表す樹木も表される。宝台の上に仏弟子が上がる表現については、渡辺氏や井手氏が指摘されたように浮彫の涅槃図に見出せる(注4)。以上から、釈迦の寝姿、宝台と香炉、二本の樹木などおよその形の枠組みは、何らかの先例に着想を得て構成されたものと思われる。仏弟子の表情については、渡辺氏は「顔をしかめて悲嘆の表情を示す」、井手氏は「うす笑いとも取れる諧謔味を帯びた表情」とされる(注5)。本図の仏弟子のような、眉をひそめて口許を隠す表情や、口角を上げて口を開ける表情は、浄衆院塔の涅槃図にも見出すことができ、陸信忠銘の十王図に描かれる責め苦の受苦者の表情にも通じることから、筆者は、極度の苦しみや悲しみを表す表現と解釈したい。釈迦の下に敷かれた布については、呉彬の涅槃図に見られることから、井手氏は釈迦がまるでシーツの上で安らかに眠っているような表現であり、明時代以降にみられる、道教の不老長寿の思想に通ずる涅槃図の嚆矢と解釈された。しかし、『涅槃経後分』の記述や、浮彫の涅槃相によると、釈迦が涅槃ののち白い布に包まれたことが確認できる。『涅槃経後分』遺教品では、仏弟子の阿難が釈迦に葬儀の方法を尋ねたところ、釈迦は転輪聖王の荼毘の方法によるべし、と答えている。その方法とは、死後七日を経て金棺に入れ、香油を満たして棺を閉じる。その七日後に再び棺より出して、香水によってその身を清める。また、多くの名香を焚き、供養する。兜羅綿という綿で包み、無価上妙の白氈の千張を重ねて包んで、香油を満たした棺に納める、というもので、― 237 ―― 237 ―
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