鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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「来迎型」の供養絵額遺族らは、そうした情景を眺めて死者を偲び、一族の繁栄、加護を祈念していた。遠野に隣接する花巻地方には、〔図3〕のように死者が阿弥陀三尊に導かれ、往生するという構図の供養絵額が広域に渡り確認されている〔表1〕。北上川流域中部には、和賀門徒と呼ばれる浄土真宗信徒が旧稗貫郡(花巻市)、和賀郡、紫波郡にかけて分布しており、旧暦の10月には近隣の寺院に集まり、阿弥陀如来や聖徳太子の画像を拝んで祖先を供養する、マイリノホトケという民間信仰が盛んで、供養絵額にも描かれている〔図4、表1〕。こうした図様は、遠野の「生活型」に対し「来迎型」と呼ばれる。いずれも在来の強い信仰が基盤となっているが、これらは小絵馬の一種である「拝み絵馬」の発展形であるように思われる。供養絵額の奉納は死者の供養を最大の目的としており、この点が願掛けや御礼参りといった現世利益を主題とする一般の小絵馬とは異なる。だが絵馬奉納の目的は、時に現世利益を超越した宗教的な動機に根差すことがある。拝み絵馬は、手を合わせる人物が描かれるシンプルな構図で、日本全国どこででも見受けられるが、奉納主の名や願文は伏せられることが多い。こうした匿名性が、神仏と祈願者のコミュニケーションをいっそう強化する。私たちは、経験的・合理的な知識では説明のつかない想定外の出来事に遭遇した際にも、平穏な暮らしを続けるためには何らかの方法でこれに対処しなければならない。それは天災や疫病の流行など、しばしば死にまつわる事象である。拝み絵馬は、そうした不条理で人間の力ではどうにもならない事象に何とか折り合いをつけるべく、ひたすら手を合わせ続ける人間の内面のあり様を表している。神仏を、願望成就など何らかの現実的な目的を達成するために統御し、利用するのではなく、神聖で畏怖すべき対象であると見なし、専らこれに従属するという姿勢が読み取れる。「来迎型」の供養絵額には「生活型」とは異なり、神仏との密なコミュニケーションを通じ、死者の成仏を一心に祈るという敬虔な態度が表明されており、これらは小絵馬の機能に通じる。供養絵額は、神仏或いは死者との交流を図るためのツールであり、さらに絵解きが可能で先行図像との連続性をも窺わせる点で、紛れもなく絵馬であり、美術と民俗のあわいにあって絵馬の定義に再考を迫る資料群であると考える。死者の肖像①近世─死絵ここで次に、供養絵額と様式・機能面で多くの共通点を有する死絵に着目したい。― 249 ―― 249 ―

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