して美しい日本の風景――といった一つの田園詩である。長らく外国に放浪した藤田氏の心にしみじみと訴えて来たであろう、ノスタルヂーが感ぜられる。(略)しかし藤田氏のなかには同時に一種の悪趣味ともいうべき変質性があることが否定できない。この悪趣味が、所々に顔を出すのである(注11)」。映画「現代日本」は、俳優を起用したのではなく、一般の人々の中から選んだ出演者、もしくは撮影地の人々に演技をつけて撮影した映画である。プロットよりシーンそのものの情緒性が優先されていることが、保坂氏の映画評からも窺える。「子供日本」篇以外の4篇については、映画評にあるような断片的なシーンやモティーフを確認できるのみである。しかしながら、そのような断片的な情報を集め、各篇の全体像にできる限り迫ってみたい。『キネマ旬報』の記事、映画「現代日本」関連のパンフレット、新聞記事、および映画雑誌のグラビアと映画評から情報を掬い取り(注12)、撮影地と合わせて整理すると、各篇ごとに情報の多寡はあるものの、表1のようになる。なお、「子供日本」篇は映画(注13)を視聴し概略を記載した。映画「現代日本」は、1936年12月の試写会後、さまざまな批判を浴びることになる。その批判は、映画関係者の、遅れた日本、前近代的な日本の映像が国外に輸出されることの危惧からはじまり、内務省などからの「国辱的」という辛辣で強硬な批判に展開していく。内務省の批判に対し藤田は、映画に展開する情景こそ「日本固有の姿」であると主張している(注14)。この映画「現代日本」を巡る議論については、加藤厚子氏の研究が詳しい。「日本文化」の定義も「表象」の方法も揺らぎ続けた1930年代の状況を詳細に検証している(注15 )。本論では、「国辱」論争に踏み込まず、藤田の意図した映画の主題を確認しておきたい。映画「現代日本」の試写会用欧文パンフレット、Japanese Life in Pictures〔図1〕に次のような文章を寄せている。 映画の多くは、外国人の期待に十分応えられないものになるだろうと思われていた。日本の生活は西洋のものとは異なり、日本人には明確に理解される習慣も外国人にはしばしば得体の知れないものである。従って、日本の知識がなくても容易に理解されると思われる日本の特徴を選定することを試みた。(略)地方の村で年に一度行われる独特な踊り等、稀にしか見ることのない行事を映画で扱うことは避けた。その代わり、日本人の生活の活力そのものである、ありふれた日常の出来事を紹介するように努めた。そうした出来事は美しさ、面白さ、多様さ、そしてその瞬間の生命力に溢れ、なんでもない話の中に織り交ぜられている。私― 260 ―― 260 ―
元のページ ../index.html#270