(B) ②~④・⑫紙:様々な鳥類図像集/毛描を省いた没骨彩色主体で、(A)に比べ(C) ⑬~⑯紙:モズ・オシドリ・マガモの着色写生図あり〔図2~4〕/マガモ・オシドリは部位を様々な角度から写した部分図あり/マガモ図に天正4年年紀ありによれば作風は(A)(B)(C)の3種に分けられ、それぞれ以下の特徴を持つという。(A) ①・⑤~⑪紙:様々な鳥類図像集/毛描が細かく彩色や隈取りが精緻/注記が詳細なガチョウ図・番のキンケイの大図・素描風のイタチ図あり/天文9年年紀のカシ鳥(カケス)の着色写生図(二次写生か)あり〔図1〕細部描写や形態把握がやや緩い/紙中に天文11年の年紀あり※①~⑯紙の筆者分類は武田氏の所見天文年間に描かれた(A)(B)は相似た性格の図像集だが、共通して描かれるソウシチョウ〔図5、6〕を比べれば明らかな通り、毛描の有無や描写密度、趾の描き方などが異なる。画人名はいずれも不詳だが、(A)の描写密度や形態感覚は「四季花鳥図屏風」(東京国立博物館)をはじめ、伝狩野雅楽助作として残る着色花鳥図諸本に若干近い。(A)(B)はそれぞれ7紙、3紙の連結部を残し、当初から貼り継いだ形で作成されたらしい。特に(B)には「天文十一 二 九 書終此三帋」の注があり、作成段階で既に3紙一括りであったことが分かる。武田氏は⑫紙も(B)とするが、鋭角的な嘴表現や強い毛描意識、注の筆致から⑫は(A)とすべきだろう〔図5、7〕。なお図巻の紙継15箇所(①~⑯紙)中7箇所(筆者確認)に、詳細不明の花押がある。花押は④~⑤間で(A)(B)をまたぐため両者の合装後に付されたらしいが、同じく(A)(B)をまたぐ①~②間には無く、(B)(C)をまたぐ⑫~⑬間にも無い。すなわち(A)(B)を合装し紙継に花押を入れ、劣化や錯簡が生じた後に順変えや部分切除を行い改装、ある段階で末尾に(C)も足したのが現状と考えられる。表装時期や実施者、近世以前の伝来については不明である。これらに基づきつつ武田氏は(A)(B)に狩野元信「四季花鳥図」(大仙院)等との共通図像(ただし配色は一部異なる)を指摘し、鳥類粉本に写生等の学習成果を加えたもの、(C)は本格的な写生巻と評価した。その上で武田氏が惹起し今なお課題であり続けているのは、これら集積された粉本と写生情報が、当時の絵画制作においていかに役立てられたかという問題である。特に最も作期が遡り、粉本図像と実物観察の知見が混ざる(A)(B)は当時の花鳥に関する情報の多様さを伝え、検討にあたって注意が要る。そこでは粉本と写生の違いが明確に区分されないのだが、逆にそ― 268 ―― 268 ―
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