鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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鼬イタ鼠チ 爾雅集注云、鼬鼠ハ上音酉、…[中略]、音性和名以太知楊梅花樹下鶉案上の禽経、是に就いて看る…[後略]山鵲詩並序物には各稟の業有り。日域の羽群、打筋斗して其の名を山鵲と曰ふ。未だ何の来由為るかを知らざるなり。師曠禽経に未だ其の数(類?)有らず。異なるかな…[後略]とあり、彼が花鳥画賛等に臨んで鳥を調べるにあたり『宣和画譜』や『禽経』を頻繁に参照したことが分かる。中には本草書を引く文もあり(注4)、当時の禅林周辺で鳥類書や本草知識が活用されていた状況を伝えて興味深い。また舶載画の鳥については『芸文類聚』鳥部や『太平御覧』羽族部などの類書、『韻府群玉』のような語彙書も参照されただろう。ただし「鳥類図巻」には、難解な『禽経』や中国類書を直に参照した跡は見られない。第一、和名情報は大陸典籍に無く、難読の漢名を必要に応じて注記する書きぶりは、平安時代前期に編集された『和名類聚抄』や『本草和名』のような和漢名対照辞典に近い。例えば「鼠狼・鼬・イタチ」と3表記で表されるイタチ〔図10〕は『和名類聚抄』にとある。さらに同書には羽の構造や鶏冠、嘴など細かな部位に関する詳細な解説もあり、古代中世の人々に鳥獣に関する基礎知識を提供した。なお語の内容解説は殆ど無いものの、室町時代の語彙辞典である『節用集』も   [テラツツキ]等の漢名と和名を収載し、直にはこうした簡便な書物が利用されたかもしれない。室町時代の狩野派が拠った花鳥関連資料の捜索はなお今後の課題だが、恐らくこうした典籍・写本類を傍らにしていたと想像される。特徴の似た種々の小禽を見分け、海外の珍禽にも精通するには少なからず学問が要る。例えば15世紀中葉、その文才と博覧強記ぶりで五山の尊宿として崇敬されていた希世霊彦は、膨大な花鳥画や海外から将来された実際の珍禽も多く目にして作詩した― 270 ―― 270 ―氏漢語抄云鼠狼列+鳥(文明17年頃、巻一)(長享元~3年(1487~89)頃、巻五)

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