鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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注⑴武田恒夫「鳥類図巻」(『美術史』31(1)号、1981年)ただし重要な鳥獣個体は絵画化された記録が複数あり、古くは牛馬(注11)、室町時代には由緒を得て「名誉之鳥」(『尺素往来』)となった名鷹が肖像画に表された。例えば信州諏訪家が細川勝元に献上した白鷹を小さな歩障(屏風か)に写させ真に迫るという希世霊彦の文(「京兆公白鷹図記」『村庵藁』下)、同じく勝元が献上された名鷹を写させたことを詠う瑞渓周鳳の詩(「細川京兆源公、偶有献鷹者、甚愛之、遂図其形…[後略]」『臥雲藁』)、美濃土岐氏(政房か)が偶然故事通りに獲物を捉えた愛鷹を記念に写させた際の景徐周麟の詩(「賛鷹」『翰林葫蘆集』)等がある。これらのタカは卓越した捕獲能力の他、羽や体色といった外見の珍しさも指摘され、その重要な例は細川勝元が越後上杉氏から献上され「其羽毛を奇」となしたタカについて「鷹を前に図」し、愛犬と併せ描かせたという之慧鳳の文(「鷹犬二図記、為大司馬細川芳門公」『竹居清事』)である。現存しないこれらの絵がどれほど肖似性を追求していたかは検証不能なものの(注12)、一定の個別化が図られ、タカの実物が観察されることもあったらしい。こうした機会を介し、室町時代の画壇では恐らく中国絵画に由来する花鳥図像と併せて、実物観察の知見を含む色々の情報が混在していた。「鳥類図巻」は恐らくそれらを受けつつ、16世紀中葉段階で狩野派が接し得た花鳥図像と表現法の集成であり、粉本制作と一括りにされがちな彼らの花鳥画制作における内部の問題意識を示唆する。そこで画人たちは花鳥の多様な種相に注意を向けつつ、観察と写生がもたらす豊かな情報をまだ咀嚼しきれない様子も垣間見せる。これらが後に様々な学術知識とある程度縦横に、戦略的に結びついた時、狩野探幽による作例のごとくすぐれて興味深い写生が実践されるのだが、「鳥類図巻」はそうした近世的な成熟をみる以前の花鳥観や写生観に関する諸問題を露わに伝えるものとして、大きな価値を持っている。山本英男「50鳥類図巻 解説」(『室町時代の狩野派』中央公論美術出版、1999年)また16世紀中葉以降の狩野派による動物図像を包括的に論じる、門脇むつみ氏の論考がある。門脇むつみ「伝狩野元信原画「獣尽図屏風模本」と狩野派の動物画」(『国華』1396号、2012年)⑵室町時代中・後期の五山文学には「六鶴図」などの語がしばしば現れ、薛稷の六鶴に端を発する姿態の分類意識が広く共有されていたとみられる。⑶『日本鳥名由来辞典』柏書房、1993年には記載無し。⑷醫家福富公、阻雨不得把帰鞭、剤和之餘、作旅詩一篇見寄、漫同厥韻云(『梅花無尽蔵』一)⑸扇面山茶長尾白禽(『村庵藁』上)、扇面山茶黒頭禽(『同』中)、「扇面山茶白羽禽」(『同』上)⑹『等伯画説』にも若干の珍禽への言及があり、16世紀後半の画人たちの知識の性格を伝えるほ― 275 ―― 275 ―

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