②阿部酉喜夫「彫刻の部 木造伝十王坐像」解説(『寒河江市の文化財』寒河江市、1991年)。 ③ 洞口寛「山形・寒河江市 平塩熊野神社 木造伝十王倚像をめぐって」(『東北芸術工科大学大学院・修士論文』、2000年)。東北芸術工科大学編『東北芸術工科大学卒業研究・制作展 作品・論文集』2001年度版、2002年)に要約を所収。 ⑤ 淺湫毅「山形・熊野神社の伝十王坐像について」(科学研究費補助金[基盤研究(A)]報告書『日本における木の造形的表現とその文化的背景に関する総合的考察〈考察編〉』所収、代表研究者:京都国立博物館長 佐々木丞平、京都国立博物館、2011年)。〔付記〕 平塩熊野神社・伝十王像に関する論考は以下のものがある。そのうち①久野氏は随身像とする説をとる。②文献では麻木脩平氏の意見が反映された解説が掲載されており、十王像とする立場をとる。麻木氏は④で改めて十王像とする説に触れている。③洞口氏は閻魔天曼荼羅との比較から五尊形式の冥府彫像であった可能性を指摘する。⑤淺湫氏は平塩熊野神社像がトチ材を用いた一木的な構造、神像との図像的な類似点に着目し神像説をとる。前注⑵杉崎氏論文では「定型化以前の冥府彫像とする見方にひとまず妥当性を認めたい」とする。 この点については筆者が以前に口頭発表を行った際に触れた。森田龍磨「中世閻魔堂における冥府彫像の作風について」、科学研究費補助金[基盤研究(C)]「日本中世における寺社縁起絵と仏教説話画の図像交流」(代表研究者:山本聡美)に関する研究会で口頭発表(於:名古屋大学、2015年3月9日)。 前掲注⑿①②文献参照。 前掲注⑿①②文献参照。 ① 久野健「東北地方の十、十一世紀の彫像」(同『東北古代彫刻史の研究』所収、中央公論美術出版、1971年)。 ④ 麻木脩平「西村山地方の平安後期の仏教文化」(『西村山地域史の研究』第22号、西村山地域史研究会、2004年)。本研究・調査に際しては帝塚山大学准教授・杉崎貴英氏より多大なるご教示・ご協力を賜りました。また調査に際しては、山形・平塩熊野神社、兵庫・石峯寺、福井県立歴史博物館主任・河村健史氏、富山県[立山博物館]学芸員・加藤基樹氏、神戸市立博物館学芸員・川野憲一氏、東北芸術工科大学教授・長坂一郎氏、東北芸術工科大学大学院生・石井智也氏、同学部生・瀬川和磨氏、成城大学大学院生・荒井孝則氏にご協力を賜りました。ご協力いただきました皆様に深く感謝を申し上げます。― 19 ―― 19 ―
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