鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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㉗ 堕地獄説話の図像形成と遼代仏教説話─兵庫・極楽寺蔵六道絵を中心に─(1)【周武帝/拔彪】〔図4〕図像: 獄卒が梁と床とで人を挟み、卵がこぼれる。それを見る官吏風の人物と合掌す研 究 者:大阪市立美術館 学芸員  石 川 温 子はじめに本研究では鎌倉時代仏教説話画において、典拠として利用された説話集に着目し、説話図像の形成について考察を行う。特に、中国・遼代(907~1125)に編纂された仏教説話集が用いられた形跡のあることに注目する。従来、説話図像の典拠として遼代の説話集の利用は認識されるが、このことはあまり気に留められずにきた問題である。兵庫県の天台宗寺院、極楽寺が所蔵する六道絵(3幅、絹本着色、各縦140.0~141.2、各横120.8×124.5cm)〔図1、2、3〕は、鎌倉時代(13世紀半頃)の仏教説話画である。その人物図像の典拠として、遼・非濁(?-1063)撰『三宝感応要略録』(3巻 1060~1063年成立、以下『要略録』)が諸氏により指摘されるが、それらの図像が示す説話内容やその典拠となった説話集自体については詳論されていない。3幅を通じ上部に十王を右から順に配し、各王の傍らには『仏説預修十王生七経』の讃文を記す短冊形を置く(注1)。十王の下部には六道の様子が展開し、右幅右から人道、地獄道、中幅は全て地獄道、左幅右には地獄道が続き、中央に餓鬼道、畜生道、左に天道と阿修羅道が配される。地獄道が占める面積が最も大きく、力点が置かれている。この地獄場面には、名が記された短冊形を傍らに配す人物図像があり、これらは説話を表すと見られる。短冊形がいつの時点で付されたかは不明だが、絵絹と損傷具合の軌を一にしており、制作当初か、或は少なくとも図像が示す説話内容の忘却を防ぐために早い段階で付されたと思われる。既にこれらの短冊形を手掛かりに菅村亨氏や鷹巣純氏によって図像の典拠の大方が示されているが、本研究では改めてこれらの図像の内容を検討し直すところから始めたい(注2)。1.地獄道説話図像の典拠と内容〔表1〕る俗形の男。― 280 ―― 280 ―

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