鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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(2)【僧規】〔図5〕図像: 赤い綱で捕縛された着衣の男。傍らに大きな秤があり、獄卒や官吏風の男らが(3)【虞安良】図像:牛頭馬頭が引く火車に乗せられる裸体の男。その上から水を注ぐ彩衣の僧。先行収録文献:『要略録』巻上(注7)内容:先行収録文献:『冥報記』巻下(注3)/『法苑珠林』巻第94(注4)内容:周武帝の監膳儀同(料理係)を務めた拔彪は、後に隋文帝にも仕えていた時、俄かに死亡する。死後拔彪は武帝に見え、そこに同坐した冥府の王に武帝が生前に食した卵の数を問われ、数えきれないと答えた。そこで王は獄卒に鉄床と鉄梁によって武帝の腹を割かせて卵を出しこれを数えた。武帝は仏教を弾圧したためにこの大苦を受けていると語り、文帝に自らの追福を行うよう伝えてほしいと拔彪に依頼する。文帝は蘇生した拔虎からの伝言を受け、人民に一銭ずつ出させ武帝の追福を行った。説話で自ら「我今身爲滅佛法極受大苦」と語るように、周武帝は仏法を弾圧したため地獄に堕ちた。ここで語られる武帝は北周第3代の皇帝であり、三武一宗の法難と呼称される中国史上大規模な仏教排斥のうちの一つを実行した人物である。囲む。先行収録文献:『釈門自鏡録』巻上(注5)、『法苑珠林』巻第83(注6)内容:宋代、武當寺の沙門僧規、俄かに死亡する。突如現れた5人組に綱で捕縛され、冥府に連行される。生前の罪福を秤にかけられるが、人違いで連行されたことが判明する。冥府の王によって、このような事態は僧規の勤行不足のために起こったのであり、間違えによる堕地獄を防ぐためには施福業を広めるのがよいと助言され、現世へと返される。殺生を生業とする唐の幽州の虞安良は、落馬し気絶する。牛頭馬頭の火車に投げ入れられるが、その時釈迦に水を注がれたことで助かる。さらに閻魔王庁に到るも、生前兄が発心して釈迦像を造像する際、30文を投じていた功徳で釈― 281 ―― 281 ―

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