鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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(4)【清河邪見女】〔図6〕図像:獄卒に引かれる裸体の女。獄卒に追われる大陸装束の男。先行収録文献:真福寺本『戒珠往生伝』巻下(注8)内容:(5)【秦安義】〔図6〕図像:体中に黒い瘡を持ち、獄卒に引かれる裸体の男。先行収録文献:『要略録』巻下(注10)内容:迦の弁護を得られ蘇生した。この出来事に感銘を受け、自らも釈迦像を造った。仏教を信ぜず神道を信奉していた清河の女。縁に触れて并州の玄忠寺を訪れると、綽禅師が自ら数珠を穿ち、人に念仏を勧めるのを見かけた。のちに突如病で死亡し冥府の王庁に到る。この時、門外では女が信仰していた神が恐々城内を覗いており、王は守門鬼にこれを追い払わせた。女は王に生前の作善を問われ、玄忠寺で仏名を聞いた功徳により蘇生し、仏法に帰依して往生した。女の傍らの短冊形には「清河□邪見女」と記される。しかし次に掲げる一文から論者は、女の直下に描かれた、獄卒に追われる杖を持った大陸風装束の男もまたこの説話を示す図像だと考える。廳正殿中、有王右翰書文見吾来、瞋怒呼神母、爾時見門外吾所事神、以恐惶状、遙瞻望城内、王以守門鬼、追打之、走去不知之所(注9)堕地獄後、女の信奉していた神が門外から城内を窺っており、王はそれを門番の鬼に追い払わせたという記述である。鬼形が男を追い払う様子であること、この男の唐風の袖の描写が大陸の神を表す工夫と見られること、この図像が女の直下に描かれていることから、これは清河邪見女の説話を構成する図像である可能性がある。高陸の秦安義は鷹猟を生業としていた。病を患い、体中に雉の觜のような瘡を発症する。親族が僧の勧めにより普賢菩薩像を造像して普賢懺を執り行った。3日経て目覚めて語るには、鳥が体内を啄み、鹿や羊が王に彼の所行を訴えたため火車に乗せられ閻魔王庁に到るが、普賢菩薩の弁護を得て蘇生した。― 282 ―― 282 ―

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