鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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2-1.『法苑珠林』唐初に編纂された仏教資料集『法苑珠林』(唐・道世撰 100巻 668年成立)について検討してみよう。『釈門自鏡録』(唐・懐信撰 2巻 700~704年成立)と『法苑珠林』に載録される僧規の説話内容を比較すると、極楽寺本は『法苑珠林』の内容を採用していると思われるのである。『法苑珠林』巻第83宋沙門僧規者。武當寺僧也。時京兆張瑜、于此縣常請僧規在家供養。永初元年十二月五日。無痾忽暴死。(下略)『釈門自鏡録』巻上釋僧規未詳何許人。少出家頗以化物爲務。而輕犯小戒。多游俗家。時京兆張瑜常請僧規在家供養。永初元年十二月五日。無病忽暴死。(下略)『法苑珠林』では「武當寺僧」と記し、僧規の所属が明らかにされている。一方『釈門自鏡録』では「未詳何許人」と記し、僧規が何処の人かは不明とする。極楽寺本に配される僧規の短冊は剥落が目立つが、「□□寺沙門僧□」との4文字は判読可能であり、僧規が所属していた寺名が記されていたと思われる。既に諸氏が指摘する通り、剥落前半部分には『法苑珠林』に見た「武當寺」が当てられると推測されるが、この記述の異同によって改めて『法苑珠林』が参看されたことが裏付けられよう。そうであるとすれば、僧規と同様に『法苑珠林』と『釈門自鏡録』が典拠に挙げられる劉薩荷、『法苑珠林』と『冥報記』(唐・唐臨撰 3巻 650~655年成立)(注21)が挙げられる周武帝や姜略についても、一貫して『法苑珠林』が参照されたと考えるのが自然ではなかろうか。2-2.『三宝感応要略録』と真福寺本『戒珠往生伝』また、参照された可能性が高い文献として遼僧・非濁撰『三宝感応要略録』がある。極楽寺本の虞安良・秦安義・阿輸沙国婆羅門の3つの図像を収録するのみならず、中世盛んに典拠として用いられた形跡を残す仏教説話集である。また清河邪見女の説話を収める真福寺本『戒珠往生伝』は『要略録』と同じ撰者である遼僧・非濁の『随願往生集』(20巻 佚書)から抄出された説話集である。先にこれらの説話集について確認しておこう。以下、主に塚本善隆氏、李銘敬氏の― 285 ―― 285 ―

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