注⑴ 剥落で判読し難い部分があるが、菅村亨氏が赤外線テレビにより確認し得た内容を報告する。菅村亨「極楽寺(八千代町)蔵『六道絵』の図相と年代」『兵庫県立歴史博物館総合調査報告書Ⅱ西脇・多可』兵庫県立歴史博物館、1987年/同「極楽寺本『六道絵』について」『仏教美術』第175号、1987年11月⑵ 前掲注⑴菅村氏/鷹巣純「めぐりわたる悪道―長岳寺本六道十王図の図像をめぐって」『仏教芸術』第211号、1993年3月/同「出光美術館本 六道十王図に見る伝統と地域性」『宗教民俗研究』第16号、2006年⑶ 『大正新修大蔵経』(以下『大正蔵』)51、796頁⑷ 『大正蔵』53、978頁⑸ 『大正蔵』51、810頁⑹ 『大正蔵』53、900頁⑺ 『大正蔵』51、830頁⑻ 塚本善隆氏によると、本書は真福寺に伝わる3巻本の往生伝集であり、奥書から嘉禄3年(1226)の写本によって僧乗忍が建長6年(1254)に書写したと判明する。塚本善隆「日本に遺存せる遼文学とその影響―真福寺蔵戒珠集往生伝と金沢文庫蔵漢家類聚往生伝について―」『東方学報(京都)』第7冊、1936年12月(『日中仏教交流史研究』塚本善隆著作集第6巻、大東出版社、1974年に再録)また湯谷祐三氏により真福寺本『戒珠往生伝』の異本として七寺本が紹介されている。湯谷祐三「七寺本『往生浄土伝』とその周辺」落合俊典編・牧田諦亮監修『中国日本撰述経典 其之5 撰述書』大東出版社、2000年。他に翻刻を掲載するものとして国文学研究資料館編『伝記験記集』(真福寺善本叢刊第6巻、臨川書店、2004年)がある。清河邪見女の説話本文は塚本氏著作集299頁を参照した。⑼ 前掲注⑻塚本氏著作、299頁⑽ 『大正蔵』51、850頁⑾ 『大正蔵』51、832頁⑿ 前掲注⑻塚本氏著作、307頁⒀ 『大正蔵』51、803頁⒁ 『大正蔵』53、919頁むすび長く、美術史の分野においては、遼からの影響についてはほとんど触れられてこなかった。このような遼への無関心は、遼が北宋周縁の異民族国家と認識されることや、日本に舶載され大いに受容された南宋絵画の陰で、相対的に美術史の視野の外に置かれてきたことに起因するように思う。しかし翻ってテキストという視点から眺めれば、遼代仏教説話集が鎌倉時代の説話画に題材を与えていたことは明らかである。さらには説話画のみならず、唱導資料や図像集など、多方面での使用が認められる。鎌倉時代の仏教をめぐる造形や活動に、遼が与えたものは大きく、今回の報告は氷山の一角に過ぎないと考えている。― 288 ―― 288 ―
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