㉘ 15世紀のメディチ家周辺で制作された作品に表わされたダイヤモンドの象徴性研 究 者:慶應義塾大学 論理と感性のグローバル研究センター美学・美術史グループ 共同研究員はじめにプリニウスが『博物誌(Naturalis historia)』(77年)の中で「ダイヤモンドは毒をも制し、それを無力にする(注1)」と言及するように、古代より宝石は単なる鉱物ではなく、薬効や超自然的な力を持つものとして象徴的に捉えられていた。『博物誌』が流布していた15世紀のフィレンツェにおいても、宝石に対する同様の認識が廃れることはなく、例えば、人文主義者マルシリオ・フィチーノ(1433-1499年)は、1489年にロレンツォ・デ・メディチ(1449-1492年)に献呈した『三重の生について』において「ダイヤモンドとヨモギは、勇気と勝利をもたらす(注2)」と述べている。15世紀のフィレンツェで制作された作品には、肖像画をはじめとして宝飾品が表わされたものがいくつもあるが、意外にもルビーや真珠が中心であってダイヤモンドが描かれた作品は多くない。本稿では上述のようなメディチ家周辺の文化的背景のもとで制作されたダイヤモンドが描かれた作品群を中心に、ルネサンス絵画研究の文脈では論じられることが極めて稀な宝石論と合わせて検証し、当時同家周辺の知識階層の間にはダイヤモンドの象徴性に対する共通理解があり、作品の主題に合わせて意図的に表わされていた可能性を提示する。1.ダイヤモンドが描きこまれた作品群1-1 サンドロ・ボッティチェッリ作《ミネルヴァとケンタウロス》と《剛毅》現在フィレンツェ、ウフィッツィ美術館に所蔵される《ミネルヴァとケンタウロス》〔図1〕は、フィレンツェのラルガ通りにあるロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチと弟のジョヴァンニの館に由来する作品である。最初に記録されるのは1498年の同家の財産目録であるが、様式的観点から一般的には1480年代に制作されたと考えられている(注3)。ミネルヴァの纏った衣装には、コジモの時代より用いられていたメディチ家の標章(注4)を表わす四角錐のダイヤモンドが嵌められた指輪〔図2〕が刺繍されている。衣装以外にもミネルヴァの胸元〔図3〕と頭頂〔図4〕、彼女が持つ鉾槍には、四葉の台に嵌められたダイヤモンドが飾られる。ダイヤモンドについてシューマッハは、単にメディチ家の標章であるだけでなく、その硬さと透明度からミネルヴァの徳を意味すると述べる(注5)。作品の主題につい― 293 ―― 293 ―西 川 しずか
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