鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
304/507

ては諸説あり、ケンタウロスが肉欲や感覚、高慢を、一方ミネルヴァは貞節や理性、謙遜を象徴するといった見解が示されている(注6)。いずれにせよ、研究者の間で共通しているのは、ミネルヴァがケンタウロスに対して優位もしくは勝利しているという点は強調しておきたい。同じくウフィッツィ美術館に所蔵される《剛毅》〔図5〕は、ボッティチェッリが1470年に注文を受けて、フィレンツェのパラッツォ・デッラ・メルカンツァ(商業裁判所)のために描いた作品である。ピエロ・デル・ポッライウォーロに注文された七つの美徳像を描く仕事であったが、町の最高実力者の一人でロレンツォの叔父でもあったトンマーゾ・ソデリーニの推薦により、《剛毅》のみがボッティチェッリに任された(注7)。玉座に着いた剛毅の擬人像は、四角錘の宝石が葉形の台に嵌められた胸飾り〔図6〕があるトゥニカを纏い、同じ宝石があしらわれた槌矛〔図7〕を手にしている。ライトボーンはこの宝石がダイヤモンドあり、剛毅の擬人像の頑強な忍耐力を象徴すると述べるが(注8)、ダイヤモンドであることに対して何ら根拠を示していない。しかし《剛毅》に描かれた宝石はダイヤモンドと同定してまず間違いない。というのも、この宝石は先に確認したミネルヴァが身に着けるダイヤモンドと同様いずれも四角錐で表わされているのみならず、ダイヤモンドの結晶の正八面体〔図8〕という特性を持っているからだ。さらに正八面体をしたダイヤモンドは、大変高く評価されていたことが知られる。例えば、教皇クレメンス7世、すなわちロレンツォの甥ジュリオ(1478-1534年)が所有していた正八面体のダイヤモンドは、先の尖った美しいダイヤモンドを意味するpunta bellaと名付けられていた(注9)。加えて、ダイヤモンドの結晶に特徴的な正八面体は、エルコレ1世・デステの弟シジスモンドの注文により1493年に造営が開始されたフェッラーラのディアマンティ宮〔図9、10〕、すなわち、ダイヤモンドを名に冠する宮殿の外壁に表されていることも指摘しておきたい。以上より、当時ダイヤモンドを表象する際にこの四角錐が用いられたことは疑いなく、本稿では四角錘で表わされた宝石をダイヤモンドとして扱う。1-2  ゲラルド・ディ・ジョヴァンニ・デル・フォーラ作《愛と貞節の戦い》と《貞節の凱旋》1480年代に制作されたと考えられている、ゲラルドの《愛と貞節の戦い》〔図11〕と《貞節の凱旋》〔図13〕は(注10)、ペトラルカの俗語抒情詩『凱旋(I trionfi)』(1351-1374年頃)で語られる「貞節の凱旋」、すなわち貞節の擬人像が愛の擬人像に勝利を収める場面を描いた作品で、ゼーリは同じ逸名の注文主による三枚の板絵の一部をな― 294 ―― 294 ―

元のページ  ../index.html#304

このブックを見る