のうちインド産のものについて正八面体を示唆する言及をしている(注23)。その後の著作を試みに辿ってみるならば、13世紀にドイツの神学者アルベルトゥス・マグヌス(1193頃-1280年)が著書『鉱物論』において、「この石[アダマス]をディアマントと呼ぶ人もある(注24)」と記していた。つまり少なくとも中世以降、アダマスという言葉がダイヤモンドを意味していたことは間違いない。このアダマスに言及する著作の中で、15世紀のメディチ家周辺で知られていたことが確実なのは、ピエロ・デ・メディチが注文したことが知られるプリニウスの『博物誌』である(注25)。他にも、中世初期の神学者セビリャのイシドールス(560頃-636年)の著作『語源論(Etymologiae)』とアルベルトゥス・マグヌスの『鉱物論』は、1499年までに編纂されたサン・マルコ図書館の蔵書目録だけでなく、ロレンツォと親交のあった人文主義者ピコ・デッラ・ミランドラの財産目録にも記載されていることが確認される。また、3世紀の著述家ソリヌスの著作『奇異事物集成(Collectanea rerum memorabilium)』は、コジモ・デ・メディチと親交の深かった人文主義者ニッコロ・ニッコリの蔵書に含まれていたことも指摘したい(注26)。これらの著作の内容を詳に確認してみると、プリニウスとセビリャのイシドールスはアダマスがギリシア語で「征服し得ない力(indomita)(注27)」を意味したと言及し、ソリヌスは鉄にも屈しないその強靭さを強調していることが分かる(注28)。また、アルベルトゥス・マグヌスは敵や攻撃などに対して効力がある(注29)と述べている。以上を総合すると、古代から中世にかけてダイヤモンドは無敵さや勝利といった概念と関連付けられていたと言えるのではないだろうか。15世紀のメディチ家周辺においても同様に理解されていたことは、ダイヤモンドが勇気と勝利をもたらすと述べる本稿の冒頭に引用したフィチーノの言及にも明らかである。さらに同時代の著作に目を向けると、フィラレーテもまたロレンツォの父ピエロに献呈した『建築論(Trattato di architettura)』(1460-1464年)の中で、ダイヤモンドを教皇になぞらえ、教皇がシニョーリに勝るようにダイヤモンドも必要とあらば他の全ての石を傷つけることができると述べ(注30)、ダイヤモンドと無敵さを関連付けている。コジモの時代からメディチ家においてダイヤモンドの指輪の標章が好んで用いられるに至った背景には(注31)、ダイヤモンドがイタリア語でディアマンテと呼ばれ神の恩寵と関連付けられていたためだけでなく、既述のダイヤモンドの「征服し得ない力」や「勝利をもたらす」という象徴性とも関係していたことをこれらの言及は示しているのかもしれない。これらを踏まえ、今一度、先に挙げた作品を見てみると《ミネルヴァとケンタウロ― 297 ―― 297 ―
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