㉙ 上野リチとブルーノ・タウト─ジャポニスムの観点から─(1)ジャポニスムとウィーン分離派研 究 者:千葉大学 人文社会科学研究科 博士後期課程 飛 田 清 佳はじめに上野リチ(Lizzi Ueno-Rix 1893-1967年)はウィーン分離派のメンバーによって設立されたウィーン工房で活動したオーストリア出身のデザイナーであり、ドイツ人建築家ブルーノ・タウト(1880-1938年)を日本に招いた日本インターナショナル建築会の中心であった上野伊三郎(1892-1972年)の妻である。リチとタウトは、リチの夫、伊三郎を介して日本で親しい関係にあっただけでなく、1910年代後半から1920年代にかけてウィーン、ベルリンでそれぞれデザイナーと建築家として活躍し、1930年代の同時期に日本に居住した外国人作家という共通点をもつ。タウトがリチの作風を好まなかったという、日本におけるタウトの高弟である水原徳言(1911-2009年)の証言が残されているためか、両者を論じる研究はこれまでほとんどみられない。しかし、ウィーン工房での活動を通じジャポニスムに接したリチと、同じく初期絵画作品にジャポニスムの影響が近年指摘されているタウト、両者の来日前後の作品を比較分析することは十分な妥当性をもつと考えられる。そこで本稿では、ウィーン工房期の上野リチの作品にみられるジャポニスムの特徴、および来日による表現の変化を考察する。また、同じく創作活動の初期にジャポニスムの影響を受け、その後来日したタウトとの比較により、ジャポニスムの逆輸入という視点から両者の作品を検討する。これらの分析で、両者の共通点、相違点を明らかにすることにより、モダニズムと「日本的なるもの」をめぐる議論が錯綜する、1930年代という時期におけるジャポニスムの逆輸入が、作家自身と作品の受容におよぼした影響を考察したい。1 ウィーン工房とジャポニスム17世紀半ばから18世紀にかけて、ヨーロッパの貴族階級を中心に、中国から輸入された陶磁器の図案などを模したシノワズリとよばれるデザインが流行した。この時期にみられる、日本の古伊万里や、柿右衛門を思わせる磁器のデザインもそれに含まれる。シノワズリは18世紀にはロココ様式とも融合しつつ、絵画、建築などに広くみられる表現となるが、時代がくだり19世紀半ばになると、日本が欧米諸国とのあいだで― 306 ―― 306 ―
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