鹿島美術研究 年報第34号別冊(2017)
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(1)1920年代のデザインに見られる花鳥画の影響社から発売された壁紙のシリーズ、またホフマンがオーストリア館のアート・ディレクターを務めたパリ現代装飾美術・工芸美術国際博覧会(アール・デコ展、1925年)への出品など、精力的に作品を発表している。ウィーン工房におけるジャポニスムの影響として注目される対象には、ウィーン国立工芸美術館に保管されている染型紙が挙げられる。1900年頃にヨーロッパ、アメリカ各地の美術館に大量に収蔵された染型紙のうち、およそ一万点が同館にあることが高木陽子氏の調査により判明しており、そのなかにはウィーン美術工芸学校への貸し出し記録から、モーザーまたはホフマンによる図案(1903年以降)への応用が同定されたものも含まれる(注3)。リチが学生時代、またウィーン工房参加以降も染型紙を資料として参照する機会は十分あったと推測でき、その曲線的、連続的に絡み合う図像パターンは、1915年から工房に正式参加したダゴベルト・ペッヒェ(1887-1923年)やリチのデザインに少なからぬ影響を及ぼしたと考えられる。2 上野リチ1908年にモーザーがウィーン工房をはなれたのち、工房のデザインは幾何学模様が減少し、花のモチーフが増加するが、なかでもリチの作品は、一つのパターンに花と鳥が描かれる頻度が高いことが注目される。後年、リチが伊三郎とともに教育者として指導をおこなった、京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)での「デザイン全般に関わる、色調と形態との構想を表現する一手段」(注4)としての色彩構成の授業においても、花と鳥のモチーフがとりあげられている。これは、ペッヒェ主導となった工房における装飾性への指向の影響と同時に、リチ個人のオリジナリティ=ファンタジーに日本の花鳥画がおよぼした影響のあらわれとみなすことができる。1920年代に制作された二つの作品、プリントデザイン《野原》〔図1〕、および壁紙《夏の平原(灰地)》〔図2〕を比較すると、この時期のリチの作品における大きな特徴は、誇張された曲線にあることがわかる。特に草花の曲線の連なりは、非対称などジャポニスムの影響がみられる作品における一般的な特徴にとどまらず、明確な着想源をもつと推測される。ウィーン工房に近いクリムトが琳派に傾倒していたことは知られており、リチも酒井抱一(1761-1829年)の《夏秋草図屏風》(1821年)や、『光琳百図』(1894年)などを参照した可能性が考えられる。一方、鳥の図像における曲線は、《イースター用ボンボン容れ下絵I》〔図3〕にも共通する描き方であり、ジャポニスムの影響から派生した、リチ特有の表現とみるこ― 308 ―― 308 ―

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